大阪市平野区加美鞍作(かみくらつくり)1丁目、北と南を「JR大和路線」と「府道5号線(大阪港八尾線)」に挟まれた所にある「菅原神社」。昨日に引き続き、今日は境内社と記念碑を見ます。
● 正一位・杉丸稲荷大明神
● 白龍弁財天
● 三鞍作用水樋門記念之碑
「鞍作(くらつくり)」は、古くより武具を製作する鞍作部(鞍作氏)が居住していたと考えられ、地名としては平安時代から見えます。
江戸期から明治にかけて、明治22(1889)年に「加美村」の大字になるまで、河内国渋川郡に属す「鞍作村」がありました。
延宝6年(1678年)に「鞍作新家村」を、元禄14年(1701年)に「南鞍作村」を分村しています。
境内奥には、江戸中期からこの三ヵ村を潤した、「三鞍作用水樋門」の記念碑が建っています。
< 記念碑表面 > < 記念碑裏面 >
三鞍作用水樋門は江戸時代中期に設置され、その源流は大和川沿いの青地樋門より平野川に導いた用水をこの樋門で取入れ、下流において神武沢井路と小路沢井路に分岐し、鞍作・南鞍作・新家三ヶ村の田畑約120町歩を潤し、且つ、治水の役目を果たし、河内木綿の発展に大いに貢献してきたものである。
尚、この樋門を長く管理してきた三鞍作樋組は、現在も続いている。 平成2年7月
・・・・・記念碑裏面の説明文です。
★☆ 大和川叢書④『流域歳時記・甚兵衛と大和川~この日何の日』 12月29日 要旨 ☆★
私鉄王国「関西」。その私設鉄道の先駆けをなしたのが「阪堺鉄道」です。その一番手として、明治18(1885)年のこの日、大阪の「難波(なんば)駅」と「大和川駅」の間が開業しています。大和川を渡って「吾妻橋(あずまばし)駅まで開業したのは明治21(1888)年のことです。
明治31(1898)年、前年から堺・和歌山間の路線開業に取り組んでいた「南海鉄道」と合併、明治36(1903)年に全線開通しました。現在の「南海本線」の前身です。