< 野崎観音本堂 >
● JR野崎駅前
大東市にある「野崎観音」の最寄駅は、JR学研都市線(片町線)の「野崎駅」です。
駅前には、南北に走るJRに沿って「谷田川(たにだがわ)」が南に流れています。
谷田川は、しばらく南流したあと、西に流れを変え、JRをくぐって寝屋川へと流れ込みます。
駅前に架かるのは、「野崎橋(のざきばし)」です。
● 野崎参道
「野崎橋」の少し北にもう一つ橋があり、「野崎参道」の標識も見えますので、そちらを渡ることにします。
橋の名は「久作橋(きゅうさくばし)」。
「久作」は、「お染久松物語」を唄う、「野崎小唄」の2番の歌詞にも登場します。
野崎参りは屋形船で参ろ お染(そめ)久松(ひさまつ)切ない恋に
残る紅梅(こうばい)久作屋敷(きゅうさくやしき) 今も降らすか春の雨
久作橋を渡ると、比較的広い2車線道路を挟んで、両側の歩道際に「野崎参道(さんどう)」商店街」が続き、多くの店が並んでいます。
「野崎参道」は、「さんどう」と読むより、「のざきまいりみち」の方が似合う気もしますが・・・。
歩道には桜の木が植えられています。春はさぞかし綺麗なことでしょう。
商店街は、「国道170号」の「野崎交差点」まで続きます。
「大阪外環状線」ではなく、平安時代の貴族らも高野山(こうやさん)詣でに利用した「東高野街道(ひがしこうやかいどう)」をたどる旧線ですが、この辺りでは少し西寄りに離れていて、旧街道跡もう少し先になります。
< 国道170号の標識 > < 旧東高野街道の標識 >
< 「野崎まいり公園」前(●)の東高野街道案内地図 >
「観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)」と「野崎観音慈眼禅寺(のざきかんのん・じがんぜんじ)」の石碑の先には、直進する120段の石段が待っています。
★☆ 大和川叢書④『流域歳時記・甚兵衛と大和川~この日何の日』 12月12日 要旨 ☆★
東高野街道は、大和川の付け替え前に「貝原益軒」も歩き、『南遊紀行』を著しています。
大和川より南の南河内地区では、明治期に街道に沿って鉄道が敷かれます。明治31(1898)年からの「河陽(かよう)鉄道」を引き継いだ「河南(かなん)鉄道」は、明治35(1902)年のこの日、長野駅(現在の河内長野駅)を開業し、柏原からの路線を全通させました。現在の「近鉄長野線」です。
途中には、剣先船の石川の終点船着場があった貴志(きし)村に近い、「貴志駅」があります。