「国豊橋(くにとよはし)」は、大阪府柏原市の大和川に架かる橋。
「国道25号」の大和川架橋で、北の高井田(たかいだ)と南の国分本町(こくぶほんまち)を結んでいます。
< 国道25号と国豊橋(○) > < 国豊橋北詰の道路標識 >
大阪からの「国道25号」は、国豊橋で大和川を渡り、国分本町6で、それまで重複していた「国道165号」と分かれます。
橋を渡らず直進すると、府道183号線(本堂高井田線)で、「JR高井田駅」はすぐ近くです。
<大阪からの国道25号、橋の手前の標識>
現在の「国豊橋」は平成13(2001)年の竣工。幅18m・長さ180m。
車道の両側にはゆったりとした歩道(歩行・自転車用)があり、4隅に洒落た標識があります。
< 北詰・上流側 「くにとよはし」 > < 北詰・下流側 「平成十三年三月竣工 >
< 南詰・上流側 「大和川」 > < 南詰・下流側 「国豊橋」 >
下流側150mほどには、「近鉄大阪線」の鉄橋があり、南側まもなくの所に「河内国分駅」があります。
この付近の大和川は、大昔からある流れ。付け替え地点より上流部になります。
江戸時代、元禄期にもこの辺りに、一人やっと通れるほどの橋が架かっていたようです。
『養生訓』で名高い「貝原益軒(かいばら・えきけん)」が、元禄2年(1689年)に書いた『南遊紀行』。
紀州からの帰路、河内の山根道に至る大和川について、、「国府(こう)」の下は川幅が広いので橋が長い。幅は1尺(30cm)余。水は浅いといえども、危なくて渡り難い」と記しています。
明治6(1873)年、当時の行政区域だった「堺県」は、通行に支障のある橋の架かっていない所には、早く仮の橋でも架けるように通達を出しています。
古くからの「奈良街道」であるこの地には、それより以前に、地元民が「高井田村」と「国分村」を結ぶ橋を企画、利用するだろう街道筋の村々と、有志の寄付金を目当てに、明治3年(1870年)の春から普請に取り掛かり、その年の今日・10月18日に完成、渡り初め式が行なわれています。
幅1間(1.8m)、長さ98間(176m)と伝わっています。
寄付金も思い通り集まらず、修理費用も掛って、その維持は大変だったようです。
大和川叢書④『流域歳時記・甚兵衛と大和川~この日何の日』の10月18日の頁も、同じ話題です。