「大和川の付け替えは、結果的には旧大和川筋の常習的な水害を軽減しましたが、新大和川筋には何ら利点はなかったといえます。」
これは、柏原市発行の『大和川物語」のコメント欄に、松原市史編纂室の方が、新川開削で現在の松原市域が被った迷惑の数々を述べたあとの、締めくくりの言葉です。
そうした松原市で、平成16(2004)年の「大和川付け替え300周年」を記念する「河内音頭」の公演の企画が提案されました。当然のように、関係者の間で、激しい意見衝突が起きました。
「我々は大和川のため、数々の迷惑を被ったのだ。300周年だからと言って、派手に祝うこともない。」
「先人たちの悩みや苦しみ私たちが言わずに、誰が言うのか。この日こそ逃してはならない。」
論争は、「物事に光と影があるならば、影はすっ込んでいろというのか」というところまでに至りました。
公演の趣意文を書き、「原作・作詞・脚色・構成・演出」を一手に担ったのは、松原市在住の「土田杏乎(つちだ・ようこ)」さん。大阪日日新聞の「澪標(みおつくし)」で、その苦悩の一部を綴っておられます。
創作グループ「さざれ石」を主宰し、「松原民話の会」の代表を務める、松原を人一倍愛されている方です。
二年間の戦いの日々を送り、最後まで理解を得られない中、これが自らの最後の公演になるかも知れない覚悟を決め、開催にこぎつけたと言います。
「松原市民会館」で幕を開き閉じたのは、大和川付け替え竣工記念日に近い日曜日、平成16(2004)年の今日・10月17日のことでした。
タイトルは、激しい勢いの流れを表した、「河内音頭・奔流(ほんりゅう)大和川」。
土田さんの「さざれ石」と、出演した「五月家一若さんと五月会」の主催で開かれました。
この時の公演について、その年10月19日付の大阪日日新聞のコラム「潮騒」は、「河内音頭のパワーはすごい」と題して、後半、次のように述べています。
大和川の流れを変える大事業は、流域住民を洪水の地獄から救ったが、新川筋にあたる
地域では猛烈な反対運動がおこった。
大人たちの悩み、苦しみと、激動の河内に生きた当時の若者たちを描いた物語。
この重いテーマに土田さんらが望んだ。
創作河内音頭は、歌うというより語りに近く、喜怒哀楽の抑揚を見事に描いてみせた。
重厚なせりふが胸に迫り、熟練の三味線も縦横無尽に鳴り響いて心揺さぶる。
河内音頭にこれほどの訴える力があるとは思いもよらなかった。極めて芸術性が高い。
「この川に生きた人々のドラマは勇気と優しさを与えてくれます」。
ふるさとのうた河内音頭で「ふるさとの心」を歌い上げる試みは大当たりだった。
感動に涙した多くの観客がそれを証明していた。
土田さんには、この日の公演には、もう一つの感激がありました。
実はこの日、柏原市の「リビエルホール」では、国土交通省の大臣を迎えて、「300周年記念式典」が開かれていたのです。共に、1,000人程が集まりましたが、式典の方は物々しい警戒の中での大イベントでした。
公演や祭りなど、人集めのため、本来の日に近い週末に行われるのは、今や一般的になりましたが、こうした公の記念式典が竣工記念日の10月13日に行われなかったことには、首を傾げざるを得ません。
が、土田さんには、これは偶然の一致というより、必然的なものと映ったかもしれません。
この同一開催を踏まえて、土田さんは、前述「澪標」で次のように書かれています。
まさに大和川の光と影を描き分けた、偶然とは言いながら象徴的な出来事でした。
いくつかの難関を乗り越えて私たちのステージも終わり、ロビーには涙目になったお年寄り
や知人の姿が見えました。皆さんはいたわりと愛をこめて、作品をほめてくださいました。
そして、あるご夫婦のお言葉を頂いた時、私の胸にいきなり光が差し込みました。
「新潟はえらいことでしたなぁ。一つちごたら大阪も同じようになってたと思うと、ぞっとしますわ。
大和川を付け替えたおかげで大阪は助かったんや。何も知らんかったことが恥ずかしい。
河内の人間は泣いたり笑うたりしながら、どえらいことをやりよったもんでんな。」
大和川からの返事が返って来たのです。
影が光を際だたせ、ご夫婦の言葉を借りて帰って来たのです。
私は限りなく幸せでした。
最後の「大和川の返事」とは、最後まで分かってもらえず、ほぼ絶望的に認めた趣意文での、「再び大和川に立ち、返ってくるはずのない返事を待ちました」という、結びの言葉に結びついていたのでした。
< CD 河内ふる里夢音頭 第1巻「花の巻」 第2巻「風の巻」 >
< CD 河内ふる里夢音頭 第3巻「流水の巻」 第4巻「月光の巻」 >
五月家一若さんと松原の子供達による「河内音頭・河内ふる里夢音頭」のCDも発売されています。
勿論、土田杏乎さんの作詞によるもので、「さざれ石」の企画制作です。
問い合わせ先 〒580-0023 大阪府松原市南新町1-11-22 さざれ石・土田杏乎
因みに、300周年のこの日の私は、両方の招待状をいただきながら、別に予定していた狭山池博物館で開かれた、「土木遺産研究会」の初回講演会の聴講に出向き、驚きの声で迎えられました。
大和川叢書④『流域歳時記・甚兵衛と大和川~この日何の日』の10月17日の頁も同じ話題です。













