大阪市阿倍野(あべの)区阿倍野筋の、「阿倍野交差点」。
南北に通る「あべの筋」には、チン電として愛される「阪堺電軌上町線」。地下には、ここで向きを変える「市営地下鉄谷町線」。高架で横切る「阪神高速松原線」・・・。
そして、北を見れば、3年後の開業を目指して建設中の日本一の高層ビル「あべのハルカス」が・・・。
「レトロ感」と「未来の夢」が、混在する町「アベノ」の顔のような交差点。
が、「アベノ」には、歴史を重ねた魅力が埋もれ(?)ていて、知れば知るほど面白い町なんです。
旧淀川(現在の大川)にあった「八軒家浜」から6.0kmという、「熊野街道」の標石や説明板がある、この交差点を出発点として、30年以上住んだ地を離れたのちも、こよなく阿倍野を愛するガイドさんに、阿倍野の魅力を案内してもらう機会に恵まれました。
ようやく暑さのやわらいだ10月2日(日)の「大阪あそ歩(ぼ)」の阿倍野コースへの参加です。
ガイドさんは、「阿倍野研究家」「天王寺蕪の会事務局長」などの肩書をもち、「なにわの伝統野菜」「大阪産(おおさかもん)」の復活・育成などにも精力的に取り組まれている「難波(なんば)りんご」さん。
このコースの一部は、去る9月12日のNHKテレビ、「ぐるっと関西おひるまえ」で放映されました。
見逃して残念と思っていたところ、難波さんのご友人が、その放映内容とご自身の探索の模様を、ブログで公開されていることを教えていただきました。
ブログ名は「マドンナのナイショ話」。その9月17~19日の3回、素晴らしい写真で大変詳しく紹介されていて、是非実際に見たい衝動にかられていました。
この難波さんの写真は、そのブログからのパクリです。(マドンナさん、ゴメンナサイ。)
マドンナさんに到底敵わないのですが、私なりのレポートをしてみたいと思います。
先ずは、「アベノベルタ」の西側にある「アベノフォルサ」3Fの「大阪市立阿倍野防災センター」。
ここでは、「3.11東日本大震災」と、近い将来に起こるとされる「東海・東南海・南海地震」を想定した揺れを体験。特に、「阪神」を経験した者にとっても、後者の恐ろしさには凄いものがありました。
東海沖から四国沖に連なる3つの震源域が破壊する地震と言えば、これまで国内最大級と言われていたM8.6の「宝永大地震」。奇しくも、宝永4年(1707年)の今日・10月4日のことでした。
伊豆から九州南部にかけて大津波が発生、土佐での20mなどが記録されています。
全国の死者は約2万人とされ、大坂でも民家が1万戸が倒壊したそうです。
大和川付け替え後の新田開発が終わる頃のことで、建てたばかりの「鴻池新田会所」の建物も大きくゆがみ、大破したと伝えられています。
そして、その年、ふた月も経たない11月23日の富士山の爆発に繋がりました。
地震の揺れを体験したのち、1Fロビーで、河内平野の成り立ちから、阿倍野のある「上町台地(うえまちだいち)」の特性など、多くの地図を使っての、非常に分かりやすい説明がありました。
今の大阪市の中心部にもあるクジラ化石の分布図や、淀川と大和川が平野を作り上げた過程など、参加者の皆さんもうなずきながら、熱心に聞き入っておられました。
水害や地震・津波などでも、阿倍野を含む上町台地の安全性も確認したあと、図書館を経て「阿倍野墓地」に向かうことになりました。
「それじゃ、ボチボチ、いきましょか」・・・。難波さんのここでの締めくくりの言葉でした。
大和川叢書④『流域歳時記・甚兵衛と大和川~この日何の日』の9月4日の頁は、「宝永大地震」の話題です。