中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記


 童形で親しまれている「お地蔵さん」。「地蔵尊」とも尊称されます。

 その「地蔵菩薩」の縁日とされるのが「旧7月24日」。その時期に催されるのが、「地蔵盆」です。

 今年の縁日は「8月23日」になりますが、大阪市住吉区遠里小野6丁目の、大和川堤防上にある「大和川雲上地蔵尊」の「地蔵盆」が、昨日・今日の2日間催されています。


                         ↓熊野街道
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 場所は、地図の赤丸の所です。そこまで北から延びているピンク色の道は、旧淀川(大川)の「八軒家浜」からの「熊野街道」で、大阪市内の最南端になります。

 大和川堤防上の木の下にあるのが地蔵尊。堤防右手には「大和川河口から4.6km」の標柱があり、少し上流に「南海高野線」の鉄橋が、下流には「あべの筋」に架かる「遠里小野橋」が見えます。


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中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記 <南海高野線>


中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記 <遠里小野橋>


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 祠(ほこら)には、左に「地蔵尊」、右に「白龍大神」が祭られています。

 傍らの石碑に依れば、堤防の安泰と共に、水神に古の水害での死者の冥福を祈るもので、昭和の中頃からの形のようですが、現在の姿は、地域の人々の浄財で、平成6(1994)年頃に改修されたものです。


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 昭和29年10月吉日の日付で刻まれている、地蔵尊像などにまつわる碑文です。


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 これに依りますと、明治の初めの堤防決壊の補修に、やむなく寺院の墓石などを用いたことがあり、その後放置の状態が続いたが、戦後の河川改修の際に、川底から地蔵尊像が現れたということです。

 墓石に混じって、地蔵尊の石像も、堤防補強に使われたのでしょう。


 その際、発掘された地蔵尊像を遷座し、白龍神像を合わせて祀ることで、今なお埋没する幾多の無縁仏を弔い、冥福を祈るようになりました。

 そして、堤防決壊の跡に、この石碑を建て、堤防の安泰を祈りたい、というものです。


中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記 <南海高野線>


 心温まる逸話です。

 それに水をさす積りはありませんが、碑文初めの「明治2年」の大水害という記述、その年号に疑問が残ってなりません。これに関しては、稿を改めたいと思います。


 大和川叢書④『流域歳時記・甚兵衛と大和川~この日何の日』の8月24日の頁も、同じ「大和川雲上地蔵尊」の話題ですが、江戸期の大和川付け替え工事の際にも、南堤より地形の低い「北堤」に、付近の墓地の墓石を補強に使ったため、宝永以前の墓が少ない、との言い伝えを紹介しています。