陸上競技場・球技場・植物園など多彩な設備のある、大阪市東住吉区の「長居公園」。
昨日は、人目につく所にありながら、つい見落としてしまうモニュメントの話題でしたが、今日は、外周道路をジョギングしたり散策するなど、毎日のように訪れている人でも、ほとんどが気付かない標石の紹介です。
「三等三角点 苅田(かりた)」と表記されています。
「苅田」は、古くは摂津国住吉郡に見える地名で、「かつた」と呼ばれていましたが、江戸~明治期の「苅田村」を踏襲するものとして、現在、長居公園の南方に、「住吉区苅田(かりた)」があります。
この地点の名称としては、少し違和感がありますが・・・。
説明板には、この標石の「三角点は、地球上の位置(経度・緯度・標高)が高い精度で求められており、地図作りや地震調査研究をはじめ、いろいろな測量の基準となる重要なものです。三角点を大切にしましょう」と、書かれています。
「三角点」の名称は、地図作成に当って、三角形の一辺の距離と二つの角度から、他の二辺の距離を計算で求める、「三角測量」の基準点として、地表に埋設したことによっています。
現在では、三角測量はほとんどなくなりましたが、地殻変動などを知るためにも極めて重要なものです。
設置されたのは、標石が平成2(1990)年、説明板は平成14(2002)年。
全国の「三角点」の大半は、明治・大正時代に設置されたそうですので、極めて新しいもののようです。
「三角点」には、重要度や基本的性質から等級が分けられていて、設置間隔の大きなものから順に、1~5等の区別があります。
一等は40km、二等8km、この「三等三角点」は約4kmの間隔で設置されるもので、2万5千分の1の地図作成には、これらの等級で充足されるとのことです。
「三角点」そのものは、真ん中にある四角の形をしたものです。周りの岩石は、標石の埋没や損傷を防ぎ、標石の位置を分かりやすくするためのものと、思われます。
上面の中央に「+」が刻まれていて、その交点の位置が、この地点の経度・緯度や標高を示しています。
「三等三角点 苅田」は、「北緯34度31分34秒、東経135度31分28秒、標高7.52m」です。
この標石の上面の大きさは「15cm角」ありますが、二~三等に定められた大きさで、一等は18cm、四等12cmとは異なっています。
また、地表に出ている部分は全体の角柱の4分の1程度で、残りは地下に埋まっており、破壊や破損に備えて、盤石がその下に埋設されているとのことです。
場所は、「長居公園」の南東部。「長居公園通」の北側歩道の近く。
ヒントになる写真を載せますので、是非探してみて下さい。
画面左下の方に、「三角点」の標石。樹木の左が、「長居公園」の外周道路。右の自転車が見えるのが、「長居公園通」の北側歩道です。
大和川叢書④『流域歳時記・甚兵衛と大和川~この日何の日』の8月12日の頁は、中甚兵衛の孫・中九兵衛重正の子供が養子に入り、その家督を継いだ、野田・玉川の「藤(ふじ)家」の話題です。藤家は、日本の野田ふじ発祥の地で、代々玉川の春日神社を守ってこられました。藤家13代となった重正の子・藤宗左衛門(官名=藤原義孝)は、1844年のこの日に亡くなっています。
当主・藤三郎氏の著書に、『なにわのみやび・野田のふじ』(東方出版)があります。