中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記


 地上5階建て、5万人の観客を収容する、「大阪市立長居陸上競技場」。

 そのメインスタジオ側に、その前面の景色を映し出すガラス張りの部分があります。
 写真の下にある入口の、向かって右側には、愛称の「長居スタジアム」の英語表記も見られます。


中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記


 そして、入口の左側には・・・・・


中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記 中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記


 聖火台をイメージしたモニュメントのようですが、一体、何なのでしょう。

 近づいて上を覗いてみます。


中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記 中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記


 平成19(2007)年に長居スタジアムで開催された「世界陸上」の正式種目で、日本人で唯一メダルを獲得した女子マラソンの「土佐礼子(とさ・れいこ)」選手の手形でした。


 その下には、今年、快挙を成し遂げた「なでしこジャパン」の全選手が口にし、今もまた、突きはなされても何度も追い付き、あるいは土壇場で逆転劇を演じている甲子園の球児たちの、「最後まで諦めない・・・」と、同じ気持ちで試合に臨んだ、土佐選手を讃える文言が記されています。


中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記


 第11回になる「2007IAAF世界陸上競技選手権大阪大会」は、世界200ヵ国、2000人近くの選手を集めて開催。天皇・皇后両陛下が出席された、8月25日の開会式で幕を開けました。


 その最終日の9月2日に行われた女子マラソンで、38kmを過ぎて5位に脱落した土佐礼子選手は、その後、驚異的な粘りを見せて2人を追い抜き、見事、3位でゴールし、銅メダルを獲得しました。

 その「最後まで諦めない姿勢」が、子供たちにも勇気と感動を与えたとして、このモニュメントの設置で、後世に伝えようとするものでした。


中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記


 土佐選手は、この結果、翌年の「北京オリンピック」の切符を手にしましたが、試合前からの右足の激痛でリタイアとなり、マラソンランナーの第一線から退くことになりました。

 

 自己最高タイムは、2時間22分46秒で突出こそしていませんが、国内大会の「愛媛マラソン」での、初マラソン・初優勝を皮切りに、「東京国際」で優勝と2位、「名古屋国際」でも優勝と2位、海外の「ロンドンマラソン」で4位、「ボストン」でも3位に入っています。

 また、「アテネオリンピック」でも5位入賞、「エドモントン世界陸上」で銀メダルを獲得するなど、「大阪世界陸上」の銅メダルと合わせ、この時までの出場10回のマラソン大会で、常に5位以内をキープし続けた、抜群の「安定感」も、このモニュメントと共に、長く語り継がれることでしょう。


 平成16(2004)年に結婚して、本名は村井姓。昨年、1児の母となりました。

 
中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記


 大和川叢書④『流域歳時記・甚兵衛と大和川~この日何の日』の8月11日の頁は、大和川付け替え後の「新開池新田」の開発にまつわる話題です。開発権を落札した、河村長兵衛と大和屋六兵衛の2人は、大半を鴻池屋に譲渡しますが、その一部5ヵ所を手元に残し、1705年のこの日、今米村の中甚兵衛に譲りました。

 3ヵ所が「中新田」に、残りは「橋本新田」と「三組新田」の一部となりました。