中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記


 お盆も近づいてきたので、先祖の居住地だった「今米(いまごめ)」の、お墓の掃除に行ってきました。

 太陽が高く上ると汗かきには大変なので、早起きして「JR阪和線」の始発電車を待ちました。


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 「天王寺駅」から「JR環状線」に乗り継いで、「森ノ宮駅」からは「地下鉄中央線」で生駒方面へ。

 ここでも、5時27分の始発に間に合いましたが、残念ながら「長田(ながた)駅」止まり。

 次の電車まで10分ほどあるので、それに乗り込みました。


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 「地下鉄中央線」は、C23の「長田駅」で「近鉄けいはんな線」(旧近鉄東大阪線)と接続しています。

 「近鉄奈良線」より北にある路線で、目的地はC25の「吉田駅」です。

 いつもは降りない「長田駅」で、先まで進む電車を待ちました。

 皮肉なことに、ホームの柱や階段の登り口などに・・・・


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 待ち時間のお陰で、相互乗り入れしている「地下鉄」と「近鉄」の車両のマークが写せましたが・・・。


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 結局は、「長田駅」で乗り継いだ形で、「吉田(よした)駅」に到着。

 高架のホームから階段を下り、改札を出て、更に東口の階段を下りて道路に出ます。

 緩やかな傾斜を東へ、登りつめた所に「川中」の信号があります。


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 「川中(かわなか)」の地名は、大和川付け替え後に、この辺りを北流していた「吉田(よした)川」跡を開発した、「川中新田」の名残です。

 この信号の手前を南北に走っている道が、旧川幅の中央部に当ります。

 吉田川も、川底が約3mも周りの土地より高い「天井川(てんじょうがわ)」になっていましたので、今も両側が坂道や段差となって残っています。


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 先の信号を左(北)へ折れますが、川跡だけに、道は右に、左にと、カーブします。

 また、道路の右の方は建物が続いていて分かりにくいですが、左には何本かの道があって、坂が下っていて奥の方の建物が、道路の位置よりかなり低い所に立っているのが見てとれます。


中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記  <墓地より手前>


中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記  <墓地の少し先>


 「今米墓地」の入口は、この道路の左側に面しています。

 それより西側にある、旧今米村の集落より、高い位置にあることになります。

 というのも、吉田川が流れていた頃から、その河川敷きに当る場所にあったからです。

 ですから、平成の区画整理まで、永らく所在地は、「川中新田」あるいは「川中」でした。


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 入口には、右手の手前にある「東大阪市立今米斎場」の名称が出ています。

 住所表示は、「今米1丁目8-23」とあります。


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 なお、「今米墓地」は、昔の「今米村」や「川中新田」の墓地ですが、すぐ近くの、道路右手の建物の裏手には、昔の「水走(みずはい)村」を踏襲する墓地があります。

 「六地蔵尊」や「阿弥陀堂」も見えました。


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 大和川叢書④『流域歳時記・甚兵衛と大和川~この日何の日』の8月9日の頁は、美しい流れである一方、暴れ川としても知られた、奈良の「飛鳥川」の話題です。平安~室町時代の2度の大規模洪水を示す遺物が、平成19(2007)年のこの日までに見つかり、翌日に発表がありました。