今日から8月。近所の早朝からのセミの声も、このところ漸く元気になってきました。
高校野球も、晴れの49代表校を決める最後の試合として、大阪大会の決勝戦が行われます。
富田林(とんだばやし)での、「PL花火芸術」も賑わうことでしょう。
そして、「住吉祭」も最終日。住吉~堺と、大和川を挟んでの「神輿渡御」と、「鯨山車」の帰還。
これで、大阪の夏祭りが終わり、暦では立秋も近づきますが、まさに「夏本番」というところです。
が、台風やゲリラ豪雨の心配な時期でもあります。
今年も、7月末の新潟の記録的豪雨による、「信濃(しなの)川」・「破間(あぶるま)川」「五十嵐(いからし)川」・「阿賀野(あがの)川」などの、被災ぶりが報じられています。
大阪では近年、そうした被害もほとんどなく、その意味では「ええとこ」として認識されていますが、今から30年ほど前の8月初旬、3日間にわたる豪雨があった記憶を失ってはならないでしょう。
昭和57(1982)年のことで、「大和川の洪水警報」が戦後初めて出されたのが、8月1日でした。
8月3日の朝には、「第2号」も発令されました。
遅れた梅雨明けと、その末期の豪雨に見舞われたあとに、1日に雨台風「10号」が接近。
更に、それより早く発生した「9号」の「台風崩れの低気圧」が、一旦、弱まりながら遠くの海上を去るかに見えて、進路を一転して加速、晴天予報の3日の朝に、大阪を急襲したのです。
被害の内容は、また日を改めますが、この連続豪雨の被害により、国の「激甚災害対策特別緊急事業」の指定を受け、「西除川捷水路(にしよけがわ・しょうすいろ)」の建設など、大和川に新たな洪水対策が求められる、きっかけとなりました。
大和川叢書④『流域歳時記・甚兵衛と大和川~この日何の日』(今年2月刊)の8月1日の頁は、昭和57年の台風10号の豪雨で、大和川に戦後初の洪水警報が出された日として捉えています。
また、国の報道官の頭には、「戦後初」の感覚はなかったようです。3日になって報道陣からの質問にも、初めは、大和川の洪水警報は毎年のように出ていると答えていました。更に、その日付を問われて、初めて事実を知らせた・・・というエピソードにも触れています。
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中 九兵衛(なか・くへえ)