明治時代の「内国(ないこく)勧業博覧会」と、跡地に出来た「通天閣」に関する話題です。
「節電の夏」・・・・・ライトダウンの通天閣は寂しいので、今は懐かしい、「丸時計」と日立の「亀の子」の社章が掲げられていた頃の写真を使って、話を進めたいと思います。
今日で7月も終わり。夏至から40日ほど経って、昼間の時間も35分、短くなりました。
大阪の、「日出」は20分以上も遅くなりましたが、今日の「日入」は、まだ19時2分です。
少々古いですが、平成7(1995)年の同じ時期の、「天王寺公園」での撮影です。
明治36(1903)年、大阪で「第5回内国勧業博覧会」が開催されました。
主会場が「天王寺」。大和川で隔てられた「堺大浜」が第2会場でした。
両会場間には、現在の南海本線である「阪堺鉄道」があり、主会場には臨時駅も設けられました。
会期は、それまでより1ヵ月長い、3月1日から7月31日までの5ヶ月間。
英・仏・独・米など18ヵ国も参加した、実質上の「万国博」に、435万人もの入場者がありました。
会期終了後、天王寺会場の跡地に、「新世界ルナパーク」が完成。
明治45(1912)年7月のことで、初代「通天閣」もお目見えしました。
今、通天閣には巨大な垂れ幕が吊るされています。
・・・・・・「2012年は 新世界誕生100周年」
初代の「通天閣」は、パリのエッフェル塔と凱旋門を模したモダンなもので、東洋一の高さを誇りましたが、昭和18(1943)年、近くの映画館の火災で類焼してしまいました。
高さ100mの現在の2代目の塔が、地元の出資で開業したのは、昭和31(1956)年のことです。
設計者は、「内藤多仲(ないとう・たちゅう)」。2年後に完成した「東京タワー」と同じ人です。
昭和32(1957)年7月には、「日立製作所」のネオン広告が登場しました。
「大阪のシンボル」に何故、明治末に茨城に誕生し、大正に本社を東京に移した「日立」なのか、ちょっと不思議ですね。
当時、松下電器(パナソニック)・三洋電機(サンヨー)・早川電機(シャープ)などの地元勢がひしめく大阪に、是が非でも進出を図りたい日立の意気込みと、恒久的な広告料を確保したい通天閣側の思惑が一致したからとも言われています。
ビリケン像の復活や、NHKドラマ「ふたりっ子」などで、全国的にも注目を集めたのでしょう。
一時期、低迷していた時期はあったものの、最近では再び、年間100万人を越す人が訪れています。
昨・平成22(2010)年には、入場者数が延べ3,500万人を突破しました。
時計の針も7時20分を指し、ネオンもくっきりしてきました。
現在は、節電のライトダウンに加え、6月からLED照明への改修工事が行なわれています。
秋には完成の予定で、新たな光の演出のもと、再登場するものと思われます。
勿論、大阪らしさとレトロ感が漂う、「新世界」の町にあってこその、「通天閣」。
博覧会の跡地として、価値あるものが今に伝わりました。
通天閣は、平成18(2006)年12月、国の「登録有形文化財」になっています。
来年の100周年。空白期間のある「通天閣」は今、控えめに「新世界」の宣伝に努めていますが、通天閣自身も初代誕生から、まぎれもなく100周年なのです。
大和川叢書④『流域歳時記・甚兵衛と大和川~この日何の日』の7月31日の頁も、第5回内国勧業博覧会の閉幕日と捉え、同じような内容を記しています。











