そういえば私のご先祖様、なんとか金太郎らしい。
妻から突然出た言葉。
坂田さんですか。
怪力だったみたいですね。
そう返答した私の言葉に違和感を持ったか
「なんか違う。その金太郎ではない。なんか人殺しして誉められた的な」
まるで荒波の中に落としたコンタクトレンズを探す思いでヒアリングを続けたが、らちが明かないのでご両親に電話。
即解決。
岡野 金右衛門 包秀
物語では、吉良家の家を建築・設計した大工棟梁の娘さんを恋人にし、家の設計図を入手する重要な任務を担う人物。
本当の所は分からないが、赤穂浪士にいたこと、妻の家系図をみると間違いではなさそう。
と、いう事で。
熊本県山鹿市に赤穂浪士の遺髪を祭る寺があるのは知っていたので、行くことにした。
日輪寺。
歴史がある寺だ。
正面の面構えも良い。
正面から入ってすぐ左側に遺髪塔があった。
47義士の内、肥後・細川藩で身元を預かった17義士の遺髪が祭られている。
大石内蔵助 吉田忠左衛門 原惣右衛門 片岡源五右衛門 間瀬久太夫 小野寺十内 間喜兵衛 磯貝十郎左衛門 堀部弥兵衛 近松勘六 冨森助衛門 潮田又之丞 早水藤左衛門 赤植源蔵 奥田孫太夫 矢田五郎右衛門 大石瀬左衛門 ・・・ 17義士
仇討ちの後、幕府は赤穂浪士を、細川家(熊本)、松平家(香川)、毛利家(山口)、水野家(愛知)の四家に預けます。
赤穂浪士を「武士の誉」と丁重にもてなしたのは細川家と松平家みたいです。
他2家に預けられた赤穂浪士は少し残念だったことでしょう。
ご先祖様は松平家のお預かりで、ここに遺髪はありませんでした。
丁重にもてなされたので良かったと思う。
遺髪お参りした後、奥に進むと沢山の水子地蔵や弘法大師像があったり、広い敷地でした。
まだ猛暑の時期に参拝したので、暑くて周遊は諦めた。
涼しくなってからまた訪れたい。
しかし・・・討ち入りした赤穂浪士がご先祖さまとは凄いな。
ちゃんと勉強しなさい、妻よ。