かなり昔の話だ・・・
小学校5~6年の頃。
地図をポケットに自転車で遠出し、何度も撮影所に遊びに行った。
良き時代で、その大泉の東映撮影所には簡単に潜り込め、いろいろなセットを見て回れたのだ。
正門の向かい側にはしっかりした銀座の街のオープンセットも有り、ある日そこでの撮影に遭遇した。
大勢のスタッフが動き回り、移動車に乗ったミッチェルの大型カメラ、スタンドでずらっと並んでいる大きなライトや銀レフ板の照明。
そこがピカピカと輝いて見え、僕はその輪の中に自然と入って行ってしまった。
しばらくして、撮影がちょっと中断した時に年配のカメラマンに声をかけられた。
「坊や、撮影が好きか?」
「ファインダー覗いてみろ!」
興奮気味に夢中で覗き込んだファインダーのガラス版。
そこには背広姿にハンチング、手にボストンバッグのスッとした人が銀座の街角に立っていた。
ガキが何かやっているなとでも感じたのだろう、背広姿がちらっと僕を見てフッと笑顔になったのを記憶している。
それが若き時代の高倉健さんだったのだ。
都会に上京したての青年感が子供心にも眩しかった。
その時僕は、ここがピカピカの中心だと感じていた。
それから7~8年後、19才学生。
撮影所のスタッフとしてバイトをしていた。
自分の担当映画は違ったが、別のスタジオでは若山富三郎さん、もう一方は何と高倉健さんの映画だったのだ。
チャンスとばかり時間の空きが出来る度に撮影を見学、それらのシーンは今でもしっかりと眼に焼き付いている。
それから7年後。
カメラマンになっていた僕は東映の大型スタジオでCM撮影を行う事になり、前日のセット下見後に銀座オープンセットを訪れてみた。
劣化はしていたが、懐かしいあの銀座の街は辛うじてまだ残っていた。
瞬時に、脳裏には小学生時代のピカピカの印象光景が鮮明に広がる。
僕は、走馬灯の様なその心地良さにしばらく立ち尽くしていた。
時代の流れなのだろう、間もなくその銀座の街は取り壊されショッピングセンターとなってしまう。
その後、高倉健さんを青山のガソリンスタンドや高輪のホテルロビー、車でのすれ違いなどで時折お見かけした。
常に背筋が伸びた歩き姿や印象的な眼の光などから、何時も独特の美学が強く感じられた。
その高倉健さん(83才)が、この11月10日に逝去された・・・
今までの出演作品はすべて鑑賞させて頂きました。
有り難うございます、ゆっくりお休み下さい。
合掌