芸人でごみ清掃員のマシンガンズ滝沢秀一さんと、断捨離のやましたひでこさんのコラボ動画に感銘を受けました。

 

 

私が出している「ごみ」から、人となり、生活、経済状況…人生のすべてがみえるんだ、みえているんだキョロキョロ

 

 

 

 

 

 

 

 

2024年の私の指針となるお言葉がいっぱいの動画でした。

 

 

 

★ごみの捨て方は生き方の見直し

 

 

 

自分の行動

 

って

 

すべて自分の考え方が出る。生き方が出る。

 

 

 

出ている。

 

 

 

 

逆から言うと、

 

 

生き方・考え方が表に出たものが、行動(言動も)。

 

 

 

 

結局、考え方(内側)が変わらなければ、変わったとはいえず、『人』としてはあんまり意味がないとは思うんだが、

 

 

それでも、

 

考え方

行動

 

どちらからアプローチしてもいいと思う。

 

 

 

考え方や思いが変わること(「気づく」こと)で、行動が変わる

 

 

もしくは

 

 

行動に重きをおき、実践していくことで、いつの間にか考え方に影響が及ぼされる。

 

 

このどちらからアプローチしても変わり得る。

 

 

 

なんにしろ、実践。実践。

 

 

 

今年は、

 

ごみの捨て方を見直すことで、私の人生を見直して行く。

 

 

 

私は

 

 

日々を丁寧に生きたい

 

 

ひとつひとつ、物もおこないも大切にしたい

 

 

と思いながら、ごみにはそれが行き届いていなかった。

 

 

 

捨てたらオワリ

 

 

と思っていた。恥ずかしい。

 

 

 

★ごみは、捨ててからもその先があるのだ。

 

 

 

だから、ごみがどこから来てどこへ行くのか、思いを馳せよう。

 

 

たぶんオワリはない、、、。

 

 

ごみは手元から処分しても、地球上からは消えない、、、。

 

 

 

目の前にある「これ」はどこから来て、どこへゆくのだろうか?

 

 

 

 

「お金の使い方には人格や経済状況が出る」とはよく言われることですが、ごみも同じなんだ。

 

 

 

ごみって、お金出して得たもののその先なのだから、お金と繋がっている(というか、お金が姿を変えたもの=「お金」じゃないか)。

 

 

 

「出す」という動詞があるのなら、その主語がなんであれ(主語=エネルギー、お金、労力、思いやり…等々)、

 

 

「行い方(実際するふるまい)」

「動機(どういう思いでするのか)」は共通なんだなとわかった。

 

 

主語が変わっても「出す」という行動に対しての「向き合い方」は、共通なんだなとわかった。

 

 

 

 

ごみの捨て方見直そう。

 

 

同時に、何を入れるか見直そう。それらはいずれごみとなる。ごみにならないものはない。

 

 

 

ごみ、丁寧に🎵美しく✨出したる~💕

 

 

 

 

動画を観てから、小さなごみを減らす実践として、スタバで店内で休憩する時はマグカップにいれてもらうようにしました。

 

 

おっ!マグカップのほうが口当たりもよく美味しいような気がする😋💕

 

 

 

今までも持ち帰る時はなるべくタンブラーを利用していましたが、ごみ問題からではなく、「時間がたっても熱いまま飲みたい」というニーズとメリットからの利用でした。

 

 

 

捨てる紙カップとフタが少しでも減れば…と思う。が、洗う人手と水と洗剤は必要なんだよな、等と考えたりもする。では飲まなければいいのか?

 

 

 

たとえ今はそうでなくても、

 

 

環境も誰も何も傷つけないエネルギー、素材…

 

仕組み・考え方・やり方は必ずあると思っている。