2023年9月7日(木)は北大路に髪を切りに行き(ショートカットにしたよん✨)、

 

 

その帰りに堀川今出川の【白峯神宮(しらみねじんぐう)】に立ち寄らせていただきました。

 

 

 
 

この地は蹴鞠に由緒があり、転じて、球技やスポーツの守護神として崇敬される神社さんです。

 
 

 

白峯神宮のご祭神は

 

第75代 崇徳天皇
第47代 淳仁天皇

 

 です。

 

 

 

特に崇徳上皇は日本三大怨霊として知られているのではないでしょうか。

保元の乱で排除される側となられ、配流先で崩御されました。

 

 

 

というわけで?、「スポーツ(蹴鞠・球技)と崇徳上皇(天皇)関係ないやん」と突っ込んでしまったが、

 

 

 

調べましたら

 

 

 

白峯神宮創建は明治に入ってからのこと。

 

 

崇徳天皇の御魂を讃岐国から京都にお迎えし、ご祭神としてお祀りすることとなりました。

 

 

その際、和歌と蹴鞠の宗家であった「飛鳥井家」の邸宅地跡が社殿地に選ばれたのだそうです。

 

 

ここ飛鳥井家の邸宅では、まりの守護神として「精大明神」がお祀りされており、その祭祀を白峯神宮さんが引き継がれたのだそうです。

 

 

 なるほど。もともとこちらにおられたのが精大明神さま。

 

 

観ずるに、まりや和歌を扱う技術・技能や精神性があらわされた神。

 

 

 

そのご神徳により球技やスポーツにご利益あり・・・という事になったのですね。

 

 

 

そのうえで、崇徳上皇、淳仁天皇の御魂をお迎えした。

 

 

 

 

 

境内で、部活かな?の勝利と上達を願う修学旅行の生徒さん達の姿を見た。

 

 

一生懸命に絵馬を書いて掲げている姿を見た。

 

 

お守りを求める姿を見た。

 

 

 

そうした、けなげで元気な魂のパワー、すなおな気持ち、願いのパワー

 

 

その影響で、とても明るい気持ちになった(*^^*)

 

 

 

 

そして思ったのです。

 

 

このパワーによって、

 

 

この地に祀られておられる崇徳上皇の御霊は癒されるんじゃないかな、、、

 

元気が出るんじゃないかな、、、

 

そして応援したいって思われているんじゃないかな、

 

 

 

 

 

『人の無垢なパワー。

 

 

純粋なエネルギー。

 

 

 

それにふれると、なんだかあたたかい気持ちになる。

 

 

澄んだ気持ちになる。』

 

 

 

それはきっと、「たましい」ある存在ならば共通していることなんじゃないだろうか。

 

 

 

(もちろん神の叡智は人智など及びもつかない。。。と知っていますが)

 

 

 

 


 

 

 

都に祟り成す怨霊と恐れられた崇徳上皇。

 

 

 

 

 今年に入り『怨霊になった天皇(竹田恒泰さん著)』、という本をちょうど読んでいて、また、仕事帰りに祇園にある御廟にも度々お参りさせていただいていました。

 

 

 

 

 

崇徳上皇には、配流先にて血で経文を書きそれを都に送った…呪いを込めて…という伝説が残っています(←超ざっくり説明)。が、私は呪うという意図はなかったと思います。

 

 

 

この身が都に戻ること叶わずとも、

 

 

自分の人生を振り返り思いを馳せ、お経をこころを込めて書いた、、、

 

 

せめてそれを都に返したい、納めたい、、、

 

 

 

そのように思われてのことだったのではないでしょうか。

 

 

 

それを「ダメ!」なことにされたら??
大切な思いを否定されたら??? 
 もしわたしが、あなたが
自分自身のこと、
自分のしたいこと、
せめてもの願い、、、
 何もかも否定されたとしたら?
邪推されるばかりだったとしたら?
理解されなかったとしたら?
妨害されたとしたら?
拒絶されたとしたら?

 

 


自分はいったいどうなってしまうのだろう?
 そんな風に思いました。

 

 

 

 


瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の われても末に 逢はむとぞ思ふ

崇徳上皇

 

 

 

 

境内には、「闘魂」と書かれたお守りがギッシリ並んでいます。

 

 

精進

努力

勝利

を願う力。

 

 

そして

 

敗れて

悔しく

憤り

涙する無念

失望。

 

 

 

そういった思いの全てを含み

 

 

日々研鑽し前に進もうとする力

 

 

それが「闘魂」なのかもしれません。

 

 

 

勝つことだけが闘魂ではない。

 

目に見えているカッコいいところだけが闘魂ではない。

 

 

 

★崇徳上皇の人生を想うそのとき、「闘魂」のたましいを想う。

 

 

 

明治時代、この蹴鞠にゆかりある場所に鎮座されることとなった崇徳上皇。

 

 

 

もともとここにおられた存在と崇徳上皇は、時を経る中で、

 

 

ともに訪れる人々に感応し、恩恵を与えてこられたのだと思います。

 

 

 

(信仰の上に信仰が重なり新しい信仰を生むというのは、古来よりよくあることです(良くも悪くも…がありますが))

 

 

 

 

うまく言えない&まとめられないが、スポーツと崇徳上皇、関係ないやんけと突っ込みを入れたものの、あながち無関係ではなかったのかもしれない。

 

 

 

 

『神は生きている。

 

 

神はつくられる。

 

 

神は育つ。

 

 

 

人のすなおな思いを受けて

 

 

より大きな存在となられてゆく

 

 

より崇高な存在となられてゆく

 

 

 

「今」神は生きている。』

 

 

 

『おかえりなさい』

 

 

 

●潜龍社
 
 
境内の「潜龍社」もとてもいいですよ(*^^*)
 
 
 
潜龍社の笑い龍ちゃん