ご本殿
つらつらと書いて行きます。
湊川神社のご祭神・楠木正成様と
西宮神社(西宮えびす)のご祭神・蛭児(ヒルコ)
その共通点とは、
人に愛される力
魅力
について教えて下さっている、、、という点です。
楠木正成様は、
いやいやいや!それ以上に、
かわいいというのは、人(神だけど)
そう、かわいげよ。
かたや西宮神社の蛭児(ヒルコ)大神様は、未熟児ゆえに親(イザナギ、
上記の本「ヒルコ」によると、流れ着いたこの地で拾われて育まれ可愛がられ、
境内にいると、強さ潔さと、確固たる『愛する意志』、、、そんなカッコいいご神氣を感じたのです。
自分が生みの親に愛されなかった・捨てられたことを原因や言い訳にしてない。これってすごい決断だと思うんです。
自分は親に愛されなかったから、という理由付けをして、あれもできないこれもできない…って、ないないの世界に行ってしまうことも多いというのに。
自分&他者を愛すること・自分&他者に愛されることを諦める思考になってしまう者も多いというのに。(負の世代間連鎖)
えーとつまり
私が感じたことは何かっちゅうと、
『カッコいいとかわいいは、裏表』ということなんです。
『カッコいい人はかわいい』し、『かわいい人はカッコいい』、両方持っているという事なんです。
かわいいだけの人、カッコいいだけの人、って、いますかね?どうやろ?
★武将らしく
★無力な赤子(小さく守るべきもの、かわいいもの)、そんなイメージがあったヒルコ神さま、その後の姿、ふくふくニコニコなイメージのえびす様…というご存在は、キリッとカッコ
カッコいい人は、かわいげがあるんだな。
かわいい人は、なんかカッコいいんだな。
私だけかもしれませんが、振り返ってみると、
私が好きになれる人、尊敬できる人というのは、もれなく「カッコよくかわいげがあった」と思うのです。
年齢性別は関係ありません。
愛される力、
愛される人柄、
つまり「魅力」というのは、
個別の性質や長所や得意…からくるものではなく、かわいげとカッコよさからきているのではないか????
かわいげとカッコよさがなければ、どんなに優れた性質や得意を持っていたとしても、存在として・人として愛されることはないのではないでしょうか??
(「~が出来て凄い」とか言われたり持ち上げられたりはするかもしれないけど、それって、愛される・好かれるというのとは違うよね)
なんだかそのように思ったのです。分かりにくかったらすみません。あくまでも私の人生をかんがみて、感じたことです。
『魅力とは何なのか?』
『愛する、愛されるとは?』といことに関するひとつの答えを得た😉
★縁、良縁とか縁結びなるものも、こうしたところから生まれるのかも?
考えがふくらみます。。。これからもこのお題を追っていきます。
写真はありませんが、湊川神社と同じく、西宮神社の内陣に張ってある布地もミントグリーンでした。(夏だからなの?いつもなの?)
これはひょっとして『かわいげ』を取り入れられる鍵なのではないかなと思いました。
私は服や小物、アクセサリー等々・・・で取り入れるつもりです。スイーツとかもいいかもね!!