つらつらと書いて行きます。
湧玉池をあとにすると、富士山の姿は雲に覆われ見えなくなっていました。
木花之佐久夜毘売命(このはなのさくやひめのみこと)がご祭神という事なのだが・・・
今回の私にはあんまりこのはなさくやひめの感じは受け取ることが出来ませんでした。
(でも、「美しさ(発する声を美しく意識しよう)」に関する気づきをくださったのは女神様のエネルギーだった。それがこのはなさくやひめかどうかはやっぱり分からん。そこにおわす存在としか・・・)
こころ、センサーが閉じていたんだろうか。アクセス権限がないんだろうか。条件を満たしていないのだろうか。
私は、「このはなさくやひめ」という女神が富士山のご神体とされるもっと「前」の存在や信仰?のほうにひかれているのかもしれません。
もっともっと原初のもの、、、
唯一無二のこのお山は何にも誰にもなれないような気がします。
ご由緒を読んでも、人間の都合や作った枠の中であれやこれやを結び付けているだけのように思えて、全然入り込めない。違和感だらけ。
★あさま=火山
山に対する信仰
フジ
フヂ
水に対する信仰
東のあさまでまず思い浮かぶのは富士山
そして西のあさまで思い出すのは阿蘇山
私はこの2月3月に、大分県の由布院町を訪れる機会を得ました。(湯布院にある由布岳は阿蘇のあさまのひとつだという解釈なのだがどうなのだろうか)
そして、
湯布院で「ゆ(温水)」に浸かり
富士で「みず(冷水)」に浸かった。
そうして、心身を清めた。
「山(火山)」の恩恵、東西を代表するあさまのエネルギーを宿した霊水(しかも温冷1セットで)に入るという事が私の2023年前半のアクションであったのかもしれない。
自分で意図したわけではないけれど、後から、もしかしたらそういう意味があるのかもしれないと思う。
意味づけしたのは私自身で、本当のところは分からない。
後になって、もっともっと大きなもの、流れがあることが分かるかもしれない。
★あそこに行きたいという衝動が出てくること、そして実際に行くこと。
それを頼りに歩みを進めていこう。
●神田宮
とてもいいお宮さんです。ここに来れてよかったあ
お宮の前で、ちょうど正午になり、12時の鐘(音楽)が市内に鳴り響きます。
その音楽は、「富士の山」!!
ついつい歌ってしまいました。
あたまを雲の上に出し 四方の山を見おろして かみなりさまを下に聞く 富士は日本一の山 |
歌うとお宮の木に宿る龍さんがすごーく喜んでくれたのだ(*´艸`*)そして龍さんと一緒に歌ったのだ。ウェーイ(^o^)
ここに来れてよかったなあ。とってもほっこりする。
こちらにも富士の湧水が・・・。
ランチは「富士宮焼きそば」を食べると決めていました。美味しかった^^
●富士山世界遺産センター
富士山を観たくて、その雄大さを感じたくて富士宮に来たので、その意図だとこの世界遺産センターはちょっとつまらなく感じてしまいました。私が知りたいのはそこじゃーないんだ。
(展示物や映像を見る気分じゃなかっただけです。すみません)。
●ライブカメラ:今現在の富士山が見れます^^
(富士山世界遺産センターの屋上に設置したライブカメラの画像)
世界遺産センターの展望台からの富士山。
裾野の緩やかさに目を奪われました。これだけ緩やかだと本当に広く大きいんだなあって感じられる。
富士山のすがたかたちは雲で目に映らないけれど
こうして半日だけでも富士宮に滞在して富士山のある風景の中にいると
不思議と
富士山が脳裏に、胸に、刻まれているものです。
こうして京都へ帰って来て、時間を置いてみても、
富士のすがたかたちとそのエネルギーが、本当にしっかりと私の中に「かたちづくられている」のを感じました。
一度だけでは足りないし、他の場所(他の浅間神社やポイントとなる場所、山梨県側)からも富士山に語りかけてみたい・・・この日はそう思いながら富士宮を後にしました。車で行くっていうのが次のチャレンジかなあ。
こんなことある??
「さっきまで行ってたんですよ富士山」って、弾いてる人に、道行く人に言いたくなった(言わなかったけど(笑))。
この地球上、膨大にある楽曲の中で、
この日この時この場所で、
よりにもよって「富士の山」!!!。
大いなるもののはからいを感じざるを得ませんでした。
「神様は遊んでおられる(笑)」と思いましたわ。
そんなこんなで、私的にはメッチャすごい締めくくりになりました「富士山本宮浅間大社」への旅。
これにて。
お読みいただきありがとうございました。
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