2023年2/23(祝)~2/26(日)、大分県の湯布院に出張したさいの霊的な面での記録です。

 

 

思いついたことを書いているので、つじつまが合わないところもあるかと

(時間がたってから精査します、現時点でアウトプットしておかないと先に進まないので)。




 聖地巡りもついに九州上陸です。



九州は、、、なんと20年ぶりに訪れます。



神戸港からフェリーで大分港へ。そして大分駅へ。



【大分駅】まだ日が出てない(笑)


 

お勤めしているお香屋さんに出勤する前に、朝の散策に出かけました。



2023年2/25㈯のことです。

 


陽の光が金色✨


 

金鱗湖


 


【天祖神社(てんそじんじゃ)】



まずは祝詞奏上。。。

ここに来ることができた感謝と、祈りを捧げます。




天祖神社に来ての第一印象。



あちゃーーーーー

 

 

とんでもねえところに来てしまった。

 


 

鳥居に鳥が・・・しかも二羽、しかも対称。こんなことある?(ここではフツーなのだろうか?)しかも対称が湖面に映ってまた対称。ゲシュタルト崩壊するやん。ぐるんぐるん。

 

 

 

金鱗湖というからには金龍がおられるのだろうなと思っていたら、常駐はしておられませんでした。呼んだら来てくれるタイプ。

 

 

 

どちらかというと虹龍(こうりゅう)の気配する場所。

 

 

虹龍、鳥居をくぐる。

 



 

★天祖神社は天からの洪水が流れ込む場所。



★神迎え



ここは

自ら神に向かい

自らに神を迎える場である。



 

私が鳥居の前に立って思ったのは、金子浩一さんのことでした。

 

 

金子さんとは2008年ごろに出会い、霊的なことの基礎を教えていただきました。

 

 

 

当時、否定的でネガティブでくれくれ星人で甘ったれで、ホントどうしようもない私をずっと見守って導いてくれた方です。

 

 

 

「奈緒美さんは自由にやったほうがいい」と力強く背中を押してくださり、



学びに出かけることはしましたが、私は誰かやどこか・特定の何か・既存の団体等に所属することは一切しませんでした。



(既存のモノが私の性に合わないことを見抜いておられたのでしょう)。




自分の目で見る・観ずる、土地を歩く、という今のスタイルでやってこれたのは金子さんのおかげです。

 

 

 

しかし本格的に新しい事業に着手されようとしていた矢先の2020年、金子さんは倒れられ、お会いすることもままならなくなりました。

 

 

 

その出来事を受け、おこがましい事ですが、、、

金子さんがなさってきたことのほんの少しを引き継がせていただこうと思い、私にできるスケールでの聖地巡り・聖地調整(場のエネルギーを調える事)をしています。

 

 

今だからこそ話せること、話したいことがあります。

 

 

全部みてくださっていて、サポートしてくださっている。

それはわかっているのですが、、、

 

 

「できることならばまたお会いしたい」



書くのは憚られるような氣もしましたが、この地、この場、天祖神社に立ち願ったことでした。



 

 

 金鱗湖から川沿いに、下流に向かって歩きます。



由布岳


 この日は朝から晴れていたので、行く先々でさまざまな表情の湯布院を視ることができました。




【宇奈岐日女神社(うなぎひめじんじゃ)】





キーンと張った私好みの静謐な氣

 

清々しく清冽な水

 

境内は水気がとても強い

 

 

 

やべーーーー

 

超好き

 

 

ご神水

 

ご祭神に姫神はおられないが、神社名でひめって言っちゃってる。

 



 

結論から言うと、奈良県の「天河弁財天社」に非常に近いエネルギーです。

 


 

【参考に…】天河弁財天社(高倉山)(公式)


 

 

私に感じられたのは

豊受大御神

宇迦之御魂神

市杵島姫神(瀬織津姫)

国之常立神

のエネルギー。(無理やり言語化すると、ですが。神なる存在を切り分けて考えるのは不可能。)



うなぎひめと称されるのは


地母神

ガイア

と呼ぶべき存在でしょう。

 

 

 


湯布院にて、第一印象から何日間か滞在して感じたことを順にあげていきます。

 

 

 

1,湯布院と言う土地は女体の内である 胎内である、胎内である 、

 

山々(地)は女体そのものである

 

地=血、

 

血はカタチあるものモトである。

 

 

 

2.天地会う場所

(天祖神社:天からの膨大なエネルギーが降りている、宇奈岐日女神社:エネルギーを受ける器)

 

 

 

3,由布岳は「みえている」ところの象徴、宇奈岐日女神社は「みえていない」ところの象徴

 

(由布岳は男性性や男性原理の象徴、宇奈岐日女神社は女性性や女性原理の象徴)

 

 

※みえるものをうみだすのは、みえていないところのものである。

 

※しかし、人はみえるところしか注目しない、理解もしない、分かりもしない。

でもそれで落ち込むことなかれ。

みえないところのものをゆっくりと育んでいくからこそ、みえるものになることができる。



※究極、みえないんだからみえなくてもええやんか。そんなことにこだわらんと、楽しいことやりたいことを毎日やればえーやん。結果度外視でただただ毎日積み重ねることやでー。




 

由布岳のパワーもすごいんだけれど、うなぎひめさんのあたりの山々のエネルギーにもスゴクひかれます。




②に続きます!

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