最近よく思うこと。浮かび上がってくる言葉。フッと降りてくる言葉。


それは

罪悪感はもういらない

である。



まず

私がこの地球に生をうけ、肉体を得、育っていくうえで


自分の魂の過程としても、
地球環境、家庭環境、社会の仕組みやエネルギーのパターンからも、


罪悪感を持つように仕向けられていたんだなあ

と思う。




罪悪感を持つことで、
罪悪感があるということを外にアピールして、許してもらおうとしていたんだなあと思う。



何を許してもらおうとしていたのか。



ここに私が存在することを、許してもらおうとしていた。



私が悪いのです、私が悪いと知っています。と思うことと引き換えに

ここに私が居ること

を許してもらおうとしていた。





私は

ここにいてもいいよ


という言葉が欲しかった。求めていた。


私にとっては、ここにいるための材料(エネルギー)が、罪悪感だった。


罪悪感を持っていることは、私が『ここ』に存在するための原動力だった。


私は罪悪感なしには、存在できなかった!!!


そんなエネルギーの仕組み、パターンで生きていた。



し、、、




私は


私がここに存在すること、



さらに言うなら

私が私のままで居ること、在ること


は絶対に絶対に許されないと思っていた。




けれど、時を経て、


たぶん、何年もかけてたくさんの聖地を巡らせていただいて、

何度も何度もその貴いエネルギーに触れさせていただいて、


その土地・そこに在る・おおいなる存在の『そのままのエネルギー』を繰り返し繰り返し、私の身に映し(写し、移し)ていくうちに


いつしか私の『中(内側)』に


私は私のままでいいのよ


という思い(エネルギー)があるということにたどり着いた。



これが、 2022年という時に、私がなしえた最大のことだったと思う。



そのために、今までも、今年も、あったのかもしれないと思う。



私は私のままでいい


その思いにたどり着けた者は幸いである。



自分という存在の申し訳なさ(=罪悪感)
自分というモノが存在してしまった申し訳なさ


もうそれらを生きる原動力にはしなくていい。

もう、罪悪感を源泉とすることはできない。罪悪感からエネルギーを引き出すことはできない。



新たなる源泉。いや、本来の、おおいなる源泉はここ。


私は私のままでいいのよ


チカラがみなぎってくる。

ふんわりとあたたかく、同時に激しく熱いエネルギー。




あなたはあなたのままでいいのよ


この源泉にたどり着けた者は幸いである。



今日もありがとう。