伊勢はわが魂のふるさと、、、なのになのに、伊勢を訪れるのはなんと4年ぶりだった。




なぜ行かなくなってしまったのか?



それは、人が多くて嫌だったのだ。。。



神宮に居るというのに、神と森羅万象に敬意のない他人の振る舞いや言動が気になって、気に食わなくてたまらなかった。(自分のことは棚に上げていまーす😅)



それを見るのが悲しくて辛くて苦しくてたまらなくて、私はとにかく人が少ない、人がいない神社聖地、人がいない時間帯を選んで行くようになった。



何でもかんでも見て聴いて感じて考えて…私が好かんと思う人やエネルギーにいちいち振り回されて、腹立つ、苛立つ。我慢がならない。



★気が散るのが何より辛かったのだ

★気を散らしてしまうような自分が何より辛かったのだ





そうして、4年ぶりに訪れた外宮さん。


伊勢と距離をおいていた間に様々な聖地を訪れたが、やはり伊勢は私にとって一等特別な土地だ‼️





豊受大御神さま
『あなたがどれだけ成長したのか見せてごらんなさい』



私は成長なんかしたのだろうか?


それこそ4年前はもっと志高くて、たくさん勉強してて、、、むしろ今は退化したような気がする。



しかし
今このとき、私はなぜ伊勢に来たのか?それにはちゃんと動機があった。


『よし、今の私を見ていただこう』



外宮のとある場所で、私のすべてを込めて、私のすべてを空にして、祝詞を奏上した。



1音1音、この地に、この空に響かせるように、この肉体を響かせ震わせた(つもり。今の奈緒美の精一杯)。



2013年の冬至、私の新しい人生は始まった。



あの日私は私の願いを知った。外宮のご正宮に立つと、とめどなく溢れてきた涙と思い。


それは
『私にできることがあればします
お願いしますさせてください
私にできることをどうかどうかさせてください
お願いしますどうかどうかどうか・・・!』
だった。



そうして、あの日の私は、今こうなりました。



祝詞を奏上している間は、自分でも驚くほどに集中していた。


ざわめきも人の声も気配も、なかった。


無心になるとは、至福。




自分のエネルギーを護りながら、自分のペースで、自分自身に集中し、

この神宮をただ愉しむ私。



このチを、このトキを、楽しめる。そんな私になれたのでしょうか?



伊勢を愛する私。


伊勢は私。私は伊勢。



『どうぞ私に新しい仕事をお授けください』

『どうぞお導きください‼️』


それが2021年の冬至、私が今このとき、伊勢に来た動機だった。


★私は新しい仕事を授かりました。



2013年からの流れはひとつ区切りを迎え、2022年から私は新しいフェーズに入ります🙋


お読みいただきありがとうございました。