つづきです。
私は朝目が覚めたら、「私は今日も生きる」と宣言する。
そして、夜眠りにつくときは
「私は今日も生きた」
と宣言して目を閉じる。
明日も同じ今日が続くとは思わない。
明日は今日の延長ではない。
連続した時の中に生きているのではない。
時は連続していない。
自分の存在を確認した、都度、都度、自分の感覚として「時」が発生する。
そして都度、都度、自分の存在は何であるか、どうであるか、確認している。
こういう自分であると定義し続けている。
意識的に確認し、そしてその定義を自分が「否(こんな自分はイヤだ)」と思うなら、その時点で定義しなおす。
その定義に沿った行動を言動を選ぶ。(これが現実化)
その定義に相応しい自分・振る舞いを選ぶ。(現実化)
「私は今日も生きた」
と宣言して目を閉じる。
自分の存在を確認する。
そして眠ることで死を迎えることが出来る。
私、なんで生きてんのかな?っていう人、
生きてる感じが希薄な人は
朝目覚めたら「私は今日も生きる」
夜目を閉じる時「私は今日も生きた」
と宣言するとよいデス。
(だってわざわざ言わなきゃわかんないんだもんーー)
★★★
今日もお読みいただきありがとうございました(^^♪
期間限定★お金のブロック解放ワークやってます★