2021年3月8日((月))
天河大弁財天社へ参拝させていただきました。
山の神・韋駄天社
南朝黒木御所跡(ここの氣がとてもなじむ感じがした)
目に見えぬ存在が私を良くしてくれたり
私の人生を良くしてくれるわけではない。
いや
してくれないのだ。
そんなこと、できはしないのだ。
神さまや守護霊や龍や宇宙人や・・・
そういった存在たちがあなたを良くしてくれるわけではない。
あなたの人生を良くしてくれはしない。
あなた以外のものはすべて「外側」なのだから。
目見ぬえぬ存在たちでさえ、あなた以外のものなのだから。
あなた以外のものにあなたを決定したり変えたりすることはできないし、させてはならない。
まず私
まず私
まず私
それこそが「ワンネス」と言われるものなのではないか。
「ひとつ」であるという意味を取り違えてきたのではないか。
残念だけれど、どれだけ神様の声を聞こうが守護霊の声を聞こうが龍の声を聞こうが、そこに力はない。何もない。
変わったような気になるかもしれないけれど、立ち止まったその地点から動いてはいないんだ。
「スピリチュアル」というジャンル(?、業界?)は生きる上でのワナといってもいい。(私もワナにはまりました。)あなたがあなたに目覚めることを阻害する一因であると思う。
私に対するチカラを持つのは私だけ。
私に力与えられるのも、奪うことさえできるのも、私。
「スピリチュアル」とは、ただ「あなたはどう生きますか」という問いとそれに向かう自分。命とは?私とは?何??への探求。
なんかよさそうなもの、気持ちよさそうなもの、いい気分にしてくれそうなもの、良くしてくれそうなもの、、、それらにチカラはない。
それらにわたしを良くしたり変えたりする力はない。
私は神を愛しているし
仏も愛しているし
龍を愛しているし
森羅万象を愛しているよ。
目に見えぬ存在を愛しているよ。
しかしそれらにチカラはないのだ。
『誰か』の話は聞こうとするのに、なぜ『自分』の声を聞こうとしないのだ。
それは聞きたくないからだ。
●『スピリチュアル』を、自分を無視するための道具にしていませんか?
お読みいただきありがとうございました。
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