間が空いてしまいましたが②です。

 

 

この記憶は、3歳離れた妹が生まれる前のことで、

 

 

はっきりと何歳のいつとは言えないのですが、私は夜泣きをするようになりました。

 

 

 

父、母、私の三人で並んで寝るのですが、私は眠るその段になると恐ろしくなってしまうのです。

 

 

 

泣き叫ぶ私に母は、「もう知らん」とそっぽを向きます。

 

 

 

父は、私を抱いて散歩したり、車に乗せたり。。。なんとか寝かせようとします。

 

 

 

その時悲しかったことを覚えています。

 

 

この人たちは私を寝かすことがしたくて(寝かしさえすればすべて解決すると思っていて、寝かすことがゴールで)、

 

 

「私そのもの」に注意や意識を向けてはくれないんだな。と感じながら疲れて眠ったことを。

 

 

(思ったことを言語化できるようになったのはもちろん成長してからですよ。そう思ったという感覚は残り続けるので。)

 

 

 

 

眠る段になるとそれまで忙しかった意識が静かになり始めます。そうすると忙しかった時には感じられなかったものがやってきます。

 

 

 

眠るという行為そのもの・意識を手放すという行為への恐怖だったり

 

 

 

夜の闇の暗さ・黒さ(視覚からのイメージ)だったり

 

 

 

その黒い闇の中に中に何かいる感覚、何かいるんじゃないかという自分の妄想

 

 

 

恐怖を感知したり感じること、

 

「恐怖するという行為」が私に生まれたのはないでしょうか。(たぶん。)

 

 

 

しかしそれらに対処する「やり方」は知らず・・・恐れ怯え泣き叫ぶ。

 

 

 

(赤ちゃんの時はそうしていればよかったが、人間は心も体も成長していくため、赤ちゃんのやり方ではもう通用しなくなったのか。(赤ちゃんから子供(人間)になろうとしていた?)

 

 

 

 

恐怖したその中で、何よりも恐ろしく、おぞましく感じたものは

 

 

●両親の中にある恐怖・不安

 

 

でした。

 

 

 

さらに恐ろしさで気が狂いそうになり泣き叫んだその理由は、

 

 

 

本人が「それに気づいていないこと」だったんです。

 

 

 

「本人」がその不安・恐怖、いわゆる負の感情と呼ばれるようなものを

 

「みていない」「ないことにしている」ことに、頭がおかしくなるような感覚を覚えました。

 

 

 

人間(大人)の内側にある「それ」。

 

 

それがあることを本人が気付いていない、

それを認めたり見ようとしたことがない、

知らん顔をする、、、

 

 

 

それが何よりも恐ろしくおぞましく感じられました。

 

 

 

 

しかし同時に

 

 

持っていながらないことにする

 

あるのに、目をそらして生きる

 

 

 

人間とはそうしたものなのだということを学んだのでした。

(もちろんすべての人がそうではない。あくまで我が家の場合)

 

 

 

「ああ、人間ってなにもわからないんだな」

 

 

「なにもわからなくなるんだな」

 

 

「人間って・・・」「人間って・・・」、

 

 

諦めのような感覚、

 

がっかりするときの感じ、

 

 

それとともに私は夜泣きをしなくなりました(たぶん)。

 

 

 

★「人間って・・・」という諦めからの「抵抗」が、夜泣きだったのかもしれません。

 

 

それをやめてしまったということは、

 

 

「人間って・・・」に屈服したという事でしょうか。

 

 

 

私は成長したときそっくりそのまま「人間って・・・」という人間になってしまいます。

 

 

 

神とか根源とのつながりを断ち切り、人間になり始めたとでも言いましょうか。

 

 

 

 

●自分のエネルギーを受け取ってもらえない=理解されていない、分かってもらうことが出来ない、ということがある。

 

 

というか「ここ」ではほとんどが「そう」なのだ。

 

 

 

地球とは過酷なところでした。

 

 

 

私は勇んで地球に生まれてみたけれど、それを激しく後悔していました。

 

 

 

めっちゃ後悔したことを覚えています(笑)(それも含めたシナリオなんでしょうけど)。

 

 

 

★★★

 

 

赤ちゃん~小さな子供はわかっています。

 

子供は親が「言う事」から学んでいるのではありません。

 

「エネルギー」としか言いようがありませんが、「親のエネルギーの使い方」が「地球でのやり方」なんだな「人間はこのようにするんだな」と、「お手本」にしてしまいます。

 

 

親が意識的に「こうせよ」とか「こうしなければならないのだよ」と教えたり諭したことをお手本にするのではありません。

 

 

子供が見ているのはそこではない、「親のエネルギーの使い方」なんです。

 

 

 

★「エネルギーの使い方」とは、単刀直入に言うと、「どのように受け取り、どのように出すか」。。。です。

 

 

 

よく言われますが、最初にかかわる人間のやり方をそのまま踏襲してしまいます。

 

 

親を通して学ぶ

 

 

というのは本当に本当で、そのままの意味で、本当に親の感じ方を「通して」自分に受け取っているんです。

 

 

(「受け継ぐ」というのはこういうことかもしれませんね。)

 

 

 

 

 

恐怖を感知したり感じること、が私に生まれたとき

 

 

私はそれらをどうしたらいいのかを適切に知る出来なかった。

 

 

★わたしは親がしていたそっくりそのまま「不安や恐怖、負の感情やマイナスのエネルギー」は見ない、感じない、知らん顔をするという選択をした。

 

 

 

親が間違っているとか責めたいとか、そういう事が言いたいわけではありません。

 

 

もちろん意識やエネルギーの使い方が「適切」な親に育てられることは、

 

 

その後の人生を「適切」に生きることへのおおきな足掛かりとなることは確かでしょう。

 

 

 

私はずっと否定的な姿勢の親を恨んできました。否定的であることすら知らない親を恨んできました。

 

 

 

今も、すべて許しているかというと全然そういったことはなく〰(笑)

 

 

 

ただ、

 

 

親のやり方に支配される人生から逃れたいと思う自分、

 

 

意識やエネルギーを大切にしたい自分

 

 

自分のことを知りたい!という欲求をもつ自分

 

 

そしてありとあらゆる選択は自分がしているんだと知った自分(だから私は被害者ではないのだ)

 

 

そういった「今ここ」にたどり着けたことは、「ああよかった」と、思えるのです。

 

 

 

 

最後に、、、あの時は恐怖におびえて泣き叫ぶことしかできなかったけれど、あの時感じた不安と恐怖をいま、見ようと思います。

 

(そのためにこの記事を書いたのだろうか)

 

★★★

 

 

あの時みた、父の不安と恐怖、母の不安と恐怖。

 

 

それらは、いつもいつも私たちとともにあった。

 

 

触れてはいけないが、それらはずっしりと横たわってそこにあった。

 

 

あの時感じた、父の不安と恐怖、母の不安と恐怖。

 

 

私は確かに感じた。見た。聞いた。

 

 

 

あの時はそれをどうすることもできなかったけれど、

 

 

今私は余すところなく見よう。感じよう。聞こう。

 

 

 

あることを知ろう。

 

 

そこ(ここ)にあることを、ただあると言おう。

 

 

 

もう無視したり、蓋をしたり、見ないことにしたり、そっぽを向いたり、知らんぷりをしたり、、、

 

とにかくないことにするのをやめよう。

 

 

あなたの存在をただあると言おう。

 

 

私はどうすることもしはしない。

 

 

ただあなたはある。

 

 

あっていい。

 

 

 

★★★

 

 

まとまりのない記事ですが滝汗、自分にとってこの夜泣き体験は、「神から離れた人間の意識」に移行する象徴的な出来事(よろしくない意味でのターニングポイント)だったので書きました。

 

 

では次回

 

 

「私ができるまで③ここはどこ?わたしはだあれ?」でお会いしましょう!!

 

 

ありがとうございましたニコニコ

 

 

【これまでの記事】

 

私ができるまで⓪プロローグ

 

私ができるまで①生まれたままの私は屋根の上で魂さんたちと語り合う

 

 
 
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