いろいろえらそーに書いているけど
わたしはご先祖さまに感謝したことなかった。
むしろ恨んでいた。とても。
魂視点ではここがよくて、ここを選んで生まれてきたと知っているけど、
人間の視点では、ここに生まれてきたことが損に思えてしかたがなかった。
わたしというもの自体が気に入らなくてたまらなかった。
わたしが気に入らないから、生んだものを恨むという、、、
親
きょうだい
家
土地
なりわい
気に入らなかった。
じゃあ何ならいいんだろうか?というとそういうものはほんとうは思いあたらず、
これというものは思いあたらず、
さらに悪いことに自分ではろくに考えもせず、
メディアや見聞きするものがこれがよいものなのだよと提示してくるものをよいと思い込んだ。
そして
よいといわれるものをわたしは持っていないと思い込んだ。
しかしいま、それらは特にいらないのだった。
あろうがなかろうがどうでもいいものだったと、こころは落ち着いて言う。
そうしてようやく
ああ
わたしはこれでいいのだ。
このわたしでいいのだ。
「これ」で、やっていくのだ。
「これ」でやっていってもいいのだ。
と思えた。
そしてそう思えたとき、
ご先祖さまへの感謝が生まれて初めて‼️湧いてきたのだった。
わたしがわたしであること
わたしがわたしで「足る」こと
このわたしでやっていってもいい
このわたしでやっていく
そう決めたとき、初めてご先祖さまへの感謝が生まれてきたのだった。
なぜなら、わたしを「生んだ」のはご先祖さまだからである。
神は魂の親
そして、ご先祖さまは肉の親▪血の親
わたしというものを生み出してくれた、、、
それに対する感謝が生まれて初めて湧いてきた。
自分を否定している間は、ご先祖さまに感謝することなど無理である。
なぜなら生まれたことを、自分を生んだものを、恨んでいるからである。
あなたが其処にいられるのは、親がご先祖さまがあなたを生んでくれたからですよ、何て言われても
自分がここに存在していることを恨めしく思っているのだから、感謝なぞできるわけがない。
わたしはこの恨みは一生解けないものかと思っていた。
しかしわたしは幸いにも、知恵ある方々の情報と発信にふれることができ、
こころある方々のエネルギーにふれる機会を得、
感謝というものがこの世を生きる大きな指針であることを知ることができた。
知ったことを実践しようという意志がわたしにはあった。
願わくば、あなたの恨みもいつしか果て癒やされんことを。こころからお祈りしています。
天恵恩地の学びにありがとう。
これでいいのだ。