告知直後の息子の反応は薄かった…
前記事【ASD息子本院への告知の時期・タイミング~うちはこうしました】
で、
主治医から「そろそろ…」
とアドバイスされたことをきっかけに
タイミングを見計らって
12歳の春に母親である
私から息子に
自閉症スペクトラムであることを
本人告知した、と書きました。
今日は、この続きです。
告知したときの息子の様子はというと、
息子の反応を心配しながら
ドキドキと緊張していた
私と真逆で
「ふーん」
と、まるで
他人の話を聞いているような
薄い反応でした。
幼稚園児だった4歳の時に
診断がついて以来
園や学校でていねいに
個別に配慮をしてもらってきたこと、
特に、
小学1年生の途中で転校した
ロンドン日本人学校でも、
小学校5年の冬に帰国して
転入した日本の小学校でも
特別支援学級に籍をおき
通常学級のお友だちより
丁寧に対応してもらいながら
生活してきたことを
ほかの友達とは違うと
疑問に思ったり
不思議に思うこともなく
過ごしてきたようですし、
精神年齢が幼い子だったので
当時はまだ
周囲との違いなど違和感を
自覚していなかったのかもしれません。
ともあれ、
このタイミングが果たして
よかったのかどうかの是非はともかく、
告知をしてしまったことを境に
息子と話をするときには、
「自閉症スペクトラム」とか
「特性」というキーワードを
使いながら
その前提で話をすることが
できるようになりました。
告知直後ではなく、後からじわじわと悩み葛藤しはじめた息子
告知をした当時、
息子本人はどう感じていたのか?
今回この記事を書くにあたって
息子に聞いてみたところ、
「あまり印象に残っていない」
と言われました。
なるほど、
私が緊張しながら告知したのとは裏腹に
とっても反応の薄いなぁと感じたい私の印象と
一致しました(笑)
では、自分自身が発達障害だという
事実を意識するようになったのは
いつぐらいから?
と聞いてみると
「中2ぐらいから、
学校生活がつらいのは
自分が発達障害だからなのかな?
と悩み始めたんだ」
とのことでした。
さらに、
「うまくいかないことを
発達障害のせいにしたり
自分を否定したりして
つらい時期が何年も続いて
でも、だんだんと受容できてきて
今もまだ100%完全に
受容はできたとは言い切れないけど
自分がASDであるという事実は
受け止めている。」
とも言っていました。
親である私が
息子のありのままを受容できるようになるまで
何年もかかったように、
息子本人も、
自分がどういう特性を抱えた人間なのか、
しかも、
それは「障害」と言われる類のものである
と、ありのまま受容するには
相当の葛藤があったようです。
正確には、今もなお、
完全に受容はできたわけではない
と言っていますし、
本当の意味で
「自分は自分、これでいい」
と思えるレベルまで
受容できるようになるまで
まだもう少しかかりそうです。
息子本人が
自ら抱えている特性も含めて
まるまるの自分自身を全肯定し
自分に合う方法で
幸せに働き、生活できる大人に
成長してほしい
…というのが
私の子育ての最終目標なので
今もなお悩みながら頑張る息子を
引き続き、見守り続けたいと思っています。
「本人への告知」について
いろいろな考え方があると思いますし、
私自身もこれがベストであったかどうかは
わかりません。
もっとよい伝え方が
あったのかもしれません。
でも、あの時に自分なりに最善を考えた
末の、あのタイミングでの告知に
後悔はありません。
ひとつの事例として…。
いま悩んでいるお母さんにとって
何かのヒントになったり
参考になれば嬉しいです。
成人した今もなお、生きづらさを抱えながら日々がんばる
私の息子は、名前と顔出しNGという条件で
私がこうして発信していることを認め、
応援してくれています。
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