私のコメント
人間は苦痛苦難、犠牲が良いことのように錯覚させられてきた。
もともと人間は幸せに生きるようになっていたのだ。
この嘘の世界は分断の支配であり、愛氏のような考えとなるだろう。
その取りようはそれぞれであり、生き方である。
参考記事
私のコメントおわり
幸せになるというストレス
2023/06/19
#水無月の祓い #夏至の到来 #人生の目的
人は幸福になるために生まれて来たという考えは麻薬のようなものです。
それは余計なお世話であって、人は自分として生きればいいだけの話し。
幸福とか不幸だとかは、よそ様が勝ってにおっしゃることで、私たちの本質とまったく関係ないし、場合によっては真逆のことが多いものです。
すべての商業ビジネスも、政治も、学問も、医学も、人が幸福になるために、、、という視点に立っています。
そうした視点に立つ以上、私たちは、何かしないと幸福になれない、、、と誤解し、また誤解させるようにビジネスや学問や医学や政治が働いているように見えるわけです。
いつか幸福になる、、、それは、今、幸福になれない、、、と同義語であるにも関わらず、まかり通る怖い世界が私たちの世界です。
幸福になるには、学校もでなくては、貯金もしなくては、出世もしなくては、お注射も打たなくては、、、、本当に色々です。
それらは、基本、余計なお世話なのです。
私の本質と何の関係もない。関係ないのにうるさい、しつこい、強制的、、、というわけです。
幸福になるためは、私たちが自分で生きることを邪魔してきます。
人は幸福になるために生きているのではない、、、という本当の真実を私たちは忘れてはいけないのです。
忘れた時、私たちは幸福になるための方便に乗っ取らてしまうからです。
あさっては、夏至です。一年の半分が過ぎました。半分過ぎた時点は、占星術では重視します。
一年の半分が夏至、人生の半分が41.2歳の厄年、というように。それは、反省点でもあるでしょうが、間違って身につけたものを祓い清めることを本当は意味しているのです。
水無月の払いは、まさに6月の末。一年のちょうど半分過ぎた分の汚れを落とすことを意味しています。
汚れとは何か、、、自分であることを忘れさせるゴミのことです。
間違った理念や目的、その多くが幸福になるために、、、と身につけてしまったゴミを払い清め、自分に戻る時としてkの時期は重要なのです。