動画 日本の今後の運命について  前編・後編 マドモアゼル・愛 | imaga114のブログ

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日本の今後の運命について  前編
マドモアゼル愛
 
 
 
 

2023/06/07 

#靖国神社に足を向けない人 #5回も6回もなぜ打たせたい #日本は帰化人国家か

 

様々な不安や動揺をもたらす出来事が日々起きている昨今です。
 一体、日本はこれからどうなってしまうのか、、、誰もが不安を抱くところに来ているように思います。 
単純にこれから良くなる、、、と思う方もいれば、このまま中国や世界に乗っ取られてしまう、、、と危惧する人もおり、はたまた、日本がウクライナのような戦場にされてしまう、、、と現政権に反対を唱える人も多いわけです。 
どの未来にもそれなりの可能性があるように思いますが、ここで日本とはどういう国で、日本人とはどういう人間なのか、、との視点が必要な気がします。 
前編と後編にわけてお話しさせていただきました。
まずは前編をご覧いただけたら幸いです。
あくまで私の主観ですので、反対のご意見やそうでないと思われる方、間違っていると確信される方など、たくさんだと思いますが、ご覧になりたいと心が動きましたら、どうかご覧の上、後編をお待ちくだされば幸いです。
後編は2-3時間後にはアップする予定です。
 
 
 
 
 
 
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2023/06/07 

#物の争いはサタンの勝ちに #霊の争いはサタンの負けに #どちらを選ぶか日本人

 

後編では、日本が飲み込まれることは、神に任せることとなり、天との一体化を日本人が成すことを示していることについて話したいと思います。 
日本人は努力家でまじめで自身の責任を誠実に行うことにかけては、特筆できるものがあります。
そして、自身がどんなに努力しても、あとは、天に任せる、、、という視点があるように思います。 
人と天とが一体とならなければ、何の成果にもならないことを、私たちは知っているのかもしれません。 
一方の現実的に強い立場の勢力は、この世だけを問題にします。
この世の勝者になりたいわけで、動物で言うなら、ヤギそのものの性質を持っています。
やぎ、、、すなわちサタニックとは、やぎ座が示す性質です。 
負けず嫌い。理由はなく、負けるのが嫌、、、そうした性質がヤギであり、それを星座としたのは、この世の支配者を作る意味においてでした。 
やぎ座がこの世の王様であり、この世の支配者はやぎ座的な力、サタニックでありますが、物質のみの時代は宇宙的に過ぎ去ろうとしていますので、サタニックの焦りがあります。 
この時点において、負けまいとすることは、せっかくの宇宙時間を物質世界に引き戻すことになります。
そうなれば、王者はやはりヤギに示される勢力で不動となります。 
反対意見、分離した考え、勢力争い、、、そうした中で支配できるのが、サタニックの力であり、それが戦術です。
そこにぼーっとして現れた、天任せの民族は、一見、簡単に奴隷化できるように見えて、実は、どんなに飲み込んでも消化できない。飲み込んだ方がやがて苦しむことになっていきます。 
 
色々な勝ち方がこの世にはあり、我的大勝利とお守りに書いた王仁三郎は、この戦は負ける方が良いことを知っていたのかもしれません。 
この世の争いに持ち込んだら、私たちに勝ち目はなく、天と一体となった際にのみ、新たな世界創造が成しえるという段階に来ていますので、不思議な現状が続いています。 
そんなこと言ってたら、日本はすべて奪われる、、、みんな殺されてしまう、、、と多くの人が思います。
しかし奪われまいと戦えば奪われることは、それは第二次大戦で嫌というほど体験したではありませんか。 奪われまいとすれば奪われるが、すべてが天のものであると思えば、天に任せることができる。
自分の物だと思う時点で、サタニックの土俵に上がってしまっているわけです。
日本人だけが、土俵に上がらない戦いができる可能性を持っている。 
しかしそれは、国の態度というより、個々の態度が問われている点が重要なのです。
どの土俵で生きていくかを、今、天は個々に問うているように思います。 
こうした意見に反対される方は、どうぞ自由な土俵に上がって戦えば良いわけで、誰が悪い、誰がいけない、、、という問題ではありません。
ワクチンも打つ打たないは自由だったはずです。
今回も同様です。 
日本の今後の運命は、国に問うのではなく、個々に問われている点が今の特徴だと思われます。