「メイド・イン・ジャパン」=「日本製」は、世界に誇るブランドとも言って良い品質の証だが、この表示が使えなかった時代がある。
この有名ブランド「ノリタケ」のお皿の裏の写真をご覧頂いて、お気づき頂けただろうか。
なんか見慣れた表示より、文字数が多い。
「メイド・イン・オキュパイド・ジャパン」=「占領下の日本製」。
オキュパイド(Occupied)とは「占領された」の意味だ。
有名な食器メーカー、ノリタケのお皿の裏の表示。
戦後、サンフランシスコ講和条約が締結される1952年まで、日本の全ての輸出製品メーカーは米国によって「メイド・イン・ジャパン」の表記を禁じられ、「占領された日本」と表記せよ、と義務付けられてきた。
これがどれだけ日本の職人さんや兵役に出ていた国民にとって悔しかったことか。
戦争帰りのウチの祖父も、よほど悔しかったのだろう。
保管していたこういう製品を子供だったワシに見せながら、
「終戦などという言葉で誤魔化してはならん。敗戦なのだ。なんとなく終わったのではない。多大な犠牲者を出して戦い、敗れたのだ。負けるとこうなるのだ。戦って負けた事を厳しく認識しないと何も反省しないし、戦死した人達も浮かばれない。その結果、また日本は同じ事を繰り返す事になる」
と、何度も語っていた。
確かにその通りだと思う。「終戦」なら別に「オキュパイド・ジャパン」などと書かされることはない。
占領軍や左翼系の人々は、現代のスポーツの世界でも日常的に「雪辱戦」の言葉があるように、「敗れた恥は必ず雪ぐ(そそぐ)」という日本人の武士道的な気質を恐れたのだろうか。
敗れたと言わず、あえて「終戦」というボンヤリした言葉で勝ち負けを誤魔化した戦後教育は、中国やロシアの理不尽な侵略っぷりをあれだけ目にしながら「防衛費より子育て支援」などと言う、恐ろしいまでにバカ能天気な立憲民主党みたいな現実が見えない人々を生んだ。
その一方で「アメリカに守って貰えばなんとかなる」「自由と博愛のアメリカについて行っとけば間違いない」という、めでたい迄にアメリカ盲信のアホ保守系の人々も生んだ。
自分の国は自分達で守るしかない。誰も頼りにはならない。
この皿一枚が伝えるのが、今や日本以外の国際常識とも言える、その厳しい現実なのだと思う。
G7広島サミットが、日本人にそれを思い出させるきっかけになってくれるなら、狭い広島を連日クソ渋滞させてワシがイライラして頭髪がまた抜けたとしても、その意味はあるのだと思いたい。