※できれば本は捨てたくない。
保管場所さえあれば……(私)
「今の時代、本なんか場所をとるもの買わなくても電子書籍でいい」
と言う人が最近多い。学校の先生も仕事以外の読書はほとんどしないくせに、子供にiPadの使い方を教えるのには熱心な人が多いのだとか。
でも、それって「栄養素はサプリで取れるから食事はしなくていい」と言ってるのと同じではないかと思う。
読書論を語る資格があるほど読書家ではないが、読書タイムは好きだ。
本の中身は別として、情報を得るためだけならiPadや Kindleで読んでもいいかもしれないが、読書の楽しみはそれだけではない。
装丁を楽しむ。ページをめくる紙の手触りを楽しむ。
若い時なら文庫本で済ませてたけど、老眼が始まった目には文庫本はちとキツイ。
ちょっと大きな文字で挿絵なんかも入っていたり、装丁が洒落ていたりする方が読みやすいしページをめくるだけで楽しい。
何より風呂上がりにお気に入りのソファに座って、古道具屋で見つけたちょっとレトロな読書灯をつけて、書棚から気ままに気になる本を何冊か取り出して、1人静かにネットサーフィンならぬ「ブックサーフィン」をするひと時は何にも替え難い。
読書って、コンテンツだけを楽しむのではなく、その行為やひと時そのものを愉しむっていう側面もあると思う。
ビタミンを摂取する為に、サプリをのんだりすることと蜜柑を美味しく食べることは違うのと同じだ。蜜柑にはビタミン以外の食物繊維だのなんだの色んな栄養があるように、読書という行為にも、コンテンツ以外の色んな心と頭の栄養があるように思う。
昔は神田の古本屋街を1人で歩いて、いろんな古めかしい本を手に取ってみたり、好きな名著の初版本を見つけたりするのが好きだった。
そんな古本屋街も今はずいぶん少なくなった。好きだった古書店はビクトリアだのアルペンだのスポーツショップや携帯ショップ、コンビニになってしまった。
今やもう本はAmazonで検索して電子書籍で買う時代なのかも知れない。それはそれで便利なのだが、やっぱり読書の醍醐味は、紙の頁を静かにめくって本棚にちょっとずつ買い揃えた本がずらりと並んでいるのを眺めるひと時だと思う。
子供にiPadを教えるのも良いが、自分の書棚に愛読書が増えていく読書の楽しみを教えられる大人は、今どれぐらいいるのだろう。
神田にはまだ古本屋が残っているが、地方都市はどうだろう。
携帯ショップやコンビニやドラッグストアに変わってしまっていないだろうか。日本人は、何か大事なものを失ってないだろうか。