間違いやすい漢字表現7選 と 間違えやすい日本語10選 2022/7/6 | imaga114のブログ

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※私のコメント

 

日本人でも日本語の使い方は難しい。

ふと気になる「単語」が出たら、メモするようにしているが、今日は誰でも知っていそうで そうでもないかもという言葉を、ネットから紹介してメモすることにした。

肝に銘じて忘れないようにしよう。

正しい日本語は、やはり難しいのか。

 

 

 

 

 

 

 

1.見栄を張る
~ 「切る」のは歌舞伎のポーズの「見得」

 「見栄」と「見得」を混同しがちです。「見得」は歌舞伎のにらむようなポーズのことで、自分を誇示するように大げさな態度をとることを「見得を切る」といいます。自分をよりよく見せようと外見を飾ることを表すときは「見栄」を用いて「見栄を張る」といいます。「見得」も「見栄」も、「見えるさま」という意味の「見え」の当て字ですが、どちらの漢字を使うかで意味が分かれるのです。

 

 

2.笠に着る
~「傘」や「嵩」は着るものでない

 「権威や地位を利用して威張る」などの意味があります。雨や雪、日差しなどを防ぐために頭にかぶる笠を、権力者の庇護や自分の権威に見立てています。「笠」を「傘」や「嵩(かさ)」と間違えるケースがあるようです。ここでの「着る」は「身に着ける」意味なので、手に持つ「傘」ではなく頭にかぶる「笠」だとわかるでしょう。「嵩に着る」としてしまうのは、「優勢に乗じて攻勢に出る」という意味の「嵩にかかる」との混同によるものと考えられます。

 

 

3.腹が据わる
~落ち着いて動じない意味の「据わる」

 「物事に動じずに、度胸がある」という意味の言葉です。「座る」でも意味は通じそうですが、正しくは「据わる」です。「据わる」には「落ち着いていて動じない」という意味があるのです。そのため、「腹が据わる」だけでなく「肝が据わる」「赤ん坊の首が据わる」「目が据わる」のように用いられます。

 

 

4.一巻の終わり
~「一巻」は「一つの物語」。終わると後戻りできない

 物事の結末がついて、何かしようとしても手遅れなことですが、「一巻」と表記するとまだ続きがありそうで、挽回できそうな気もしてしまいます。しかし、ここでの「一巻」とは「一つの物語」という意味です。物語が終わってしまったので後戻りできないのです。貫き通すという意味の「一貫」を用いたほうが、すべてが終わった感じがするかもしれませんが間違いです。

 

 

5.片意地を張る
~「片寄った意地」なので「肩意地」でも「固意地」でもない

 「肩肘(ひじ)張る」という似た言葉があることから「肩意地」としたり、頑固なイメージから「固意地」としたりしてしまうことがあるようです。「片意地」は片寄った意地という意味で、「張る」は強引に押し通す意味です。そこから自分の考えを押し通す意味になりました。「肩肘張る」は、文字通り肩や肘を張って威張るさま、転じて堅苦しいさまをいうので意味が異なります。

 

 

6.後生おそるべし
~『論語』の一節に由来する言葉

 「後世」としがちですが、正しくは「後生」です。「後生」には、後から生まれてきた人や、後から学んだ人などの意味があります。「後生おそるべし」は『論語』の一節で、後進の者は努力次第でどのようにも成長できるのでおそれるべきである、という戒めの言葉です。「後世」はのちの世という意味のほか、のちの世代という意味があるので「後世おそるべし」でも言葉としては成立するかもしれませんが、語源的には正しくありません。

 

 

7.肝に銘じる
~命令ではなく心に刻みつける

 「肝」とは、古くは魂が宿るところで心を意味しました。「銘じる」はもともと金属や石などに刻みつけることで、転じて心に深く刻みつける意味になりました。そこから、心に深く刻んで忘れないようにすることを「肝に銘じる」というようになったのです。「めいじる」を「命じる」とするのは、「心に命令する」ということになってしまうので間違いです。

 

 

 

 

 

 

 

「役不足」と「力不足」

役不足を「能力が足らない」という意味で使う人がいます。しかし本来は、「役」が「不足」している、つまり「能力に対して役目が軽すぎる」ことを意味します。しばしば力不足と間違って「主役だなんて私には役不足です」といった使い方をする人がいますね。「主役だなんて私には軽すぎて不満」という反対の意味になるので、注意しましょう。この場合は「力不足」を用いるのが適当です。力不足は、与えられた役目を果たすだけの力量がないことを表します。

 

 

 

「小春日和」

小春日和とは、晩秋から初冬にかけての、あたかも春のような穏やかで暖かい気候のことをいいます。旧暦では10月、新暦ではおよそ11月頃の気候を指します。「春」の晴天の日を小春日和というのは誤りなので気を付けましょう。

 

 

 

「煮詰まる(につまる)」

「煮詰まってしまい、アイディアが浮かばない」など、精神的に追い込まれた状況で使われがちですが、本来は「議論や意見が出尽くして結論の出る状態になる」ことをいいます。結論が出る寸前に用いるのが正解です。

 

 

 

「失笑(しっしょう)」

相手を馬鹿にして「あきれた」というニュアンスで「失笑する」を使う人がいます。しかし本来は「的外れな発言に失笑を買っていた」というように、「思わず笑いだす」「おかしさのあまり噴き出す」という意味です。

 

 

 

「敷居が高い(しきいがたかい)」

本来は「不義理や面目のないことがあって、その人の家に行きにくい」という意味を表します。ただし広辞苑第7版にて、これまで誤用とされていた「高級だったり格が高かったり思えて、その家・店に入りにくい」といった意味が追加されました。

 

 

 

「檄を飛ばす(げきをとばす)」

「部下に対して檄を飛ばす」など「元気のない人に頑張れと励ます」という意味で用いられることが多く見受けられます。しかし本来は「自分の主張や考えを広く人々に知らしめて同意を求めること」をいいます。

 

 

 

「ご自愛(ごじあい)」

ご自愛は「健康状態に気をつけ、自分の体を大切にする」ことを意味します。「お体をご自愛ください」は「体」という意味を繰り返す、重ね言葉になるので注意しましょう。正しくは「時節柄くれぐれもご自愛くださいませ」などと記します。

 

 

 

「潮時(しおどき)」

「もう潮時だ」などと物事が終わる間際にマイナスの意味で使いがちですが、本来は「一番いいタイミング」を指す言葉です。「ピッチャー交代の潮時」といった具合に「物事を行うのに最もいい時機」として用います。

 

 

 

「破天荒(はてんこう)」

常識がないという意味で使われやすい言葉ですが、本来は「今まで誰もできなかったことを成し遂げること」をいいます。とても立派な様をあらわします。

 

 

 

「姑息(こそく)」

「あの人は姑息だ」など、「卑怯だ」という意味で用いられることが多く、間違えやすい言葉です。本来は「その場しのぎの対応をすること」をいいます。「姑息な手段」などであれば、使い方に間違いはありません。

 

 

 

「おざなり」と「なおざり」

「おざなり」とは、いい加減に物事をすませること、その場だけの間に合わせを表します。「なおざり」は、いい加減にしてそのままの状態で放っておくことを言います。両者の意味を比べてみると、「いい加減である」ことは共通点ですが、行動する、しないのかで大きく異なってきますので使い分けるようにしましょう。

 

 

 

「徐に(おもむろに)」

間違った意味で「不意に、突然に」と使われがちですが、「落ち着いて、ゆっくりと行動する」様をいいます。「おもむろに」は漢字で書くと「徐に」で、「徐」はゆっくりしているという意味の漢字です。「徐行」や「徐々」などの熟語もありますね。漢字を見れば正しい意味を想像することもできるので、意味に迷ったときは漢字を思い浮かべてみましょう。

 

 

 

「的を射る(いる)」と「的を得る(える)」

「的を射る」とは、うまく目標に当てる、転じてうまく要点をつかむことをいいます。この「的を射る」の誤用とされてきたのが「的を得る」です。「的を得る」はほとんどの国語辞典に載っていませんが、正しいといった見方もあり、意見が分かれているのが現状。一概に誤用であるとはいえません。

 

 

 

「一所懸命(いっしょけんめい)」と「一生懸命(いっしょうけんめい)」

現在は「一所懸命」「一生懸命」ともに、「命がけで事にあたること」を意味します。しかし、もともとは「一生懸命」は「一所懸命」が転じてできた言葉です。

「一所懸命」の「一所」には、一つの場所という意味があり、中世に生活の頼みとして命をかけて所領(=自分が領有している土地)を守ることをいいました。近世以降になると「命がけのもの」や「必死な気持ち」の意味だけが残り、「物事を命がけですること」へ意味が転化しました。この変化に伴い、所領の観念が薄まり「一生懸命」へと語形が変化したのです。

今は「一生懸命」と聞くと、「長く」取り組むことよりも「集中して」取り組むニュアンスを持ちますね。これは、時代の移り変わりによって「一生」という語が、「一生にわたって」という長期的なものより、「生涯に一度しかないほど重要な」という意味に重点をおいたことなどが大きく関係しているといわれています。

 

 

 

「お」や「ご」をつける美化語

上品に言い表すときに用いられる「美化語」。丁寧語とは別の敬語の一種です。一般的に、訓読みの和語には「お」、音読みの熟語である漢語には「ご」をつけます。

例えば「お」をつけるのは、お土産、お金、お名前、お住まいなど。「ご」をつけるのは、ご住所、ご氏名などがあります。また「連絡」に「ご」をつけることにより、「ご連絡する」いった具合に「謙譲語(自分の行動をへりくだって表現)」となるケースもあります。

ただ「お」や「ご」をつけすぎると、返って不自然な言葉になることがあるのを心に留めておきましょう。

 

 

 

「お」や「ご」をつけない言葉

代表的なものとして、テーブルやテレビなどの外来語、公演や学校などの公共施設、イチゴやブドウなど果物、社長や先生などの役職、雨や雪などの自然現象があります。「お」や「ご」をつけないことが正しい言葉もありますので、留意しましょう。

日本語の使い方は難しく、時代とともに変化しています。また、知らぬ間に間違った表現をして、相手に誤解や不快感を与えていることがあるかもしれません。大切なことは本来の意味を知ることです。海外からの旅行客も増え、インバウンド対応も求められる昨今、美しく正しい日本語を一緒に伝えていきたいですね。