私見 過去未来で起きた、無限のパラダイムが収束する 2021/8/28 | imaga114のブログ

imaga114のブログ

理不尽な世界に疑問
ネットの普及から
「井の中の蛙」から「目から鱗」

なぜ日本人なのか?
本物の日本人とは何なのか?
興味深い内容と雑学から学ぶことは?
ただの主婦だけど、
ただの主婦からのメッセージ
受けとる人は誰?

 

 

 

カナダのロマーナ女王のテレグラムから一部抜粋
トンネルとDUMBの住人の一部。

光の世界連邦の特殊部隊は、それらの一部と戦わなければなりませんでした。 そして、我々連合軍の特殊部隊が後から入っていくのです。

全ての人が悪いわけではありません。 我々を助けてくれる者もいる。
人間のように食べ物や水がなくても生きていける種族もいる。 電気を使って生きているものもいます...
2021/8/27  11:54



TVシリーズ「スタートレック」はScience fictionではありませんでした。  全てのSF映画やTVシリーズは真実であったのです😁。

二重性を目的としてSci-Fiと呼ばれていました。
2021/8/27  11:59



エイリアンレ4ースKGB本(ソ連のスパイ機関
このドキュメンタリーでRacesの名前を学びましょう。

2021/8/27  12:04

 

 

 

私見

 

 

この動画の信憑性は保留としたい。

各人で考えればいいだろう。

確かにいろいろな爬虫類人がいただろうが、今はいないのでは?

ともかくロマーナ女王がこうして公に出しているのだから、何かあるのかもしれない。

名前を学ぼうといっている。

 

 

 

 

無限のパラダイムが過去未来にあった。

今という時は、それを一つにするという瞬間だととらえている。

 

映画のSF、スタートレックなども真実だというのは以前から主張している通りだ。

しかし、過去未来の無限のパラダイムが起こったことで、どうしようもない化け物ができてしまったということだろう。

 

この無限のパラダイムを一つにすることで創造主の思い通りの世界ができる。

それ以外は考えられない。

一つの未来ということになれば、タイムマシンで過去未来を行ったり来たりしていた者たちが創ってしまった間違った世界が消えるということになる。

 

人間が考えたことは実現する。

 

タイムマシンが現実のものとして存在しているとして、その最後の役目は歴史を修正するためだったのだろう。

ルッキンググラスを覗いても未来が変わらないと解った。

だからカバールは覗くのをやめた。

 

既出記事↓

 

当初、収束するのは 「2020/12/21」のはずだった。

なぜこんなに遅れたのか。

正解はまだ示されていない。

じっと我慢して、その日を待ちわびてきたが、その日は突然に来て瞬きする間に世界は変わる。

昨日今後の道が示された。

少なくとも私はそう感じる。

 

人間としての条件である、魂と松果体は無くなったとしても「セントラルサン」で復活することがわかった。

セントラルサンに入り魂が洗われて、松果体が復活し、セントラルサンを出ることができる。

 

何作もあるスタートレックの中で、悪魔が「ふるさと地球」といった。

元地球人だった。

当ブログは、どんなにひどい悪人であっても元は人間だった説をとる。

人間失格で死んだとしても、セントラルサンで復活する。

この最後の時には創造主の恩恵があるだろう。

姿形がどんなに悲惨になっていても、創造主にとっては子供そのものである。

生きていてもセントラルサンに入ることができるのだろう。

最後の時に、全ての命を救うという無限の愛。

素晴らしいことだ。

 

 

ここで注意は元人間というところだ。

過去と未来を行き来して悪魔になったもの、今は動物の形をしているが元人間だったもの、

魂が元々あったものに限定される。

魂は、創造主が与えるものだからだ。

 

今現在、元々魂がないものは該当しない。

つまり本当に消える、ということだ。

幻想は消えることになる。

 

昨日テレグラムからJFKJrの写真が消えた。

一瞬投稿して消すというのは意味深であり、そうなると気になる。

キーワードは「メドベッド」

「形」というものの存在意義が崩れていく。

 

またアインシュタインの言葉がある。

知識という分母が大きくなることで「エゴ=自我」が小さくなる。

 

 

 

 

エゴという言葉の響きが日本人にとっては、少しニュアンスが違うように思えるが、これもプロバガンダなのかもしれない。

 

 

このサイト(↓↓↓最後に転載)を見ると、やはり「エゴ」の使い方に問題がありそうだ。

「自己中」 「利己主義」といったネガティブなイメージで使われている。

 

エゴとは「自我」のことであり、

本来「自我」とは自分自身であり、

今の社会は「自我」を潰すやり方ではないだろうか。

 

心理学というもの自体カバールの大好きな道具だろう。

 

なので、左脳だけを使う人間を量産して、うまく支配をしてきた。

この公式通りに↓左脳人間は屁理屈をこねて、エゴが消えそうになる。

「エゴ」とは自分自身なのだから、しっかり保つことで各々特別な人間性が育つことになる。

 

私はそれこそ素晴らしいことと認識するが、どうだろうか。

人間はみな違って当たり前なのに、同じような人間を良しとするDSカバールのものたち。

騙されたことに気付くのが遅すぎる。

日本人など「読み書きそろばん」を徹底的に学ばせたら、それ以上の押しつけ学問もどきは不要である。

天賦の才能が目覚める。

これからの世界はそうなることだろう。

もっと自由に、もっと楽しく、持って生まれた才能が開花する。

 

 

DSカバールは人間に、想像性もなくし、どうでもいいテストをさせ、まさに画一的な人間製造機を回し続けてきた。

「出る杭は打たれる」式でどんどん人間としての正しい素晴らしい「芽」をつんでいる。

「気づけ気付け」といっても、このDS社会で生きる上で、その選択肢は厳しいものだった。

医者という病気製造者を使い、医者自体は自分が素晴らしく人生の勝ち組とああ勘違いをしているように全く分かっていない。

今真実を知っても、その姿勢を変えることはできない。

最後まで悪魔の手伝いをして、今回、逮捕される。

 

誰かが捏造した知識を懸命に覚え、本物の自分を殺してしまうのだ。

あなおそろしや!

人間として生まれた価値はない。

 

然し誰でも何かしらの気づきが与えられるものだ。

ダニエルさんもつい最近投稿していた。

 

 

 

 

 

既出記事↓

 

 

もし、あなたがこの内なる声の呼びかけに耳を傾けないなら、あなたの魂が肉体や人生経験を通して注意を求め続ける可能性が高いでしょう。
プライベートや仕事、人間関係でのストレスや混乱という形での注意。あるいは、病気という形での深刻な注意もあります。
高次の普遍的な次元からのサインは、あなたが古い魂のためにここに来たことを実行する時であることを教えてくれます。
何世代にもわたって痛みと苦しみのループを作ってきた癒しの内的作業を、あなたが止めることができることを示すサインです。
あなたと私がカルマの輪の中を回り続けても、本質的には何も変わりません。

 

宇宙は、あなたに後押しをし、次に押し、最後にパンチを与えてあなたを倒し、停止させます。魂があなたに注目し、あなたが変わらなければならなくなるまで。
魂の暗い夜には目的があります。
あなたや他の多くの人々を光へと導く道を、あなたの旅の途中で見つけさせるためです。

 

 

 

 

 

エゴを潰すと、実に支配しやすい人間が出来上がる。

学歴社会もしかりではないか。

大人になると、「学歴」がどれだけのものかわかるが、子供のころから噓みたいに叩き込まれる。

大人になって気付いてもすでに、そのレールの上を歩いているのだからその価値観をひっくり返すことは難しい。

残念なことに今が最後のチャンスだが、それも解らず終わるのだろうか。

 

私見終わり

 

 

 

心理学の世界では人の心を3つに分けて説明しています。「エゴ」はフロイトが掲げた3要素の一つですが、「エゴ」を中心に「エス(またはイド)」と「スーパーエゴ」に分かれます。

「エス」は欲求や感情を示す「動物的本能」、「スーパーエゴ」は両親や学校、社会から教えられた「しつけ」をそれぞれ意味しています。そして、この2つの間にあるのが「エゴ=自我」なのです。

心理学では「エス」と「スーパーエゴ」をコントロールするのが「エゴ=自我」であり、このどちらかが強すぎて偏ってしまうと精神的なトラブルを招くと言われています。

 

エゴとは主に「エゴイズム」のこと

カタカナ語の「エゴ」はほとんどの場合で「エゴイズム」のニュアンスで使われています。「エゴ」とは「利己主義」で「自分中心的」な考え方を指し、他人の気持ちや幸福を考えない思考や行動様式のこと、つまり「エゴイズム」のことなのです。

「エゴイズム」は自分の欲求や満足感だけを追求するために行動し、自分の利益だけが全てと捉えるのが特徴です。別の言葉では「自我主義」と呼ばれることもあり、完全な自我の実現を求め、それが人の生きるための目的であると考えるのを特徴としています。

エゴの語源は英語「ego」

「エゴ」は英語の「ego」のことで、「自尊心」「自負心」「うぬぼれ」「自我」などの意味を持つ言葉です。自分のことを中心的に考えるような利己的な様子を指しています。