キャプチャー写真を追記しました。2021/5/3 22:22
記憶をまっさらにしないと疑惑が多すぎる。
今日は日本の歴史から、世界とつながっていた過去を、探る動画となっている。
全ての方面からの修正がこんなにも必要になるとは驚きだ。
いかに支配されまくったのか、悔しいほどに無知だった。
無知は罪というが、本当だ。
ここまでわかっているのに、日本人は今までのしがらみにシステムに乗ろうとしている。
解ったから、いやなのにどうしても今までの習性にとらわれてしまう。
何とか抜け出すことが今必要だ。
「変わる、変化する、」ことが顕在意識では嫌なことに感じてしまう。
変わらない方が、気持ちがいい、コンフォートだと思わされてしまっている。
「起きろ、起きろ、めざめよ、」と言われてもじぶんで勇気をもって起きなければならない。
目の前に黄金時代があるのに、見えないのだ。
邪魔をする常識。
その常識は支配のために作られたまやかしである。
お金の仕組みの詐欺を受け入れてはいけない。
常識は非常識だと自分に言い聞かせて乗り越える。
闇の10日間中に各国の政治家はいなくなるらしい。
政治家などいらない。
病院も、薬も添加物も洗剤すらいらない。
【衝撃】日本の明治時代 世界最先端の艦隊は一体どこから生まれたのか?
今日は日本についてお話しします。
より正確には、日本の戦艦についてです。
19世紀末から20世紀初頭にかけての日本です。
現代では、日本は最も進んだ工業国の一つであることは、誰も疑問を挟むことではありません。
しかし、日本がそのような状態であるというのは、いつものことではありませんでした。
特に日本が工業先進国として発展したのは、なんといっても1980年代のことでした。
このような工業国家としての発展は、多くの人が知っている通り、日本で他国で開発された技術や、その特許を買っていったことにあります。
購入が難しかったものについては、法廷で争ってでも、権利を手に入れていきました。
日本が工業化した原因は、別の言い方をすると、自国でその技術を一から生み出すといったように変化していったのではなく、全世界の先進技術を取り入れて利用することによって達成されたものでした。
この動画の製作者の祖父の子供時代、ソビエトの一般庶民たちの子どもたちが、日本製の自転車を馬鹿にするような状態でした。
歴史上、ソビエトと日本が親交を深めていたという時代があったようです。
日本はその自転車をソビエトに販売していたのです。
また日本製の戦車がまったく競争力のないという時代もありました。
非常に劣ったシャーシで、ボイラーを作るための鉄でボディーを仕上げているといった具合です。
ソビエト製のT-34はこのような日本製の戦車を複数台難なく破壊できるものでした。
日本は後年の経済発展がはじまるまで、むしろ他国よりも劣った自転車や戦車を作るような国だったのです。
1890年代
日本皇帝
最後の侍
元動画↓
Откуда у Японии флот ? Японский флот , который непонятно откуда взялся Япония - военная база Руси ?
キャプチャー写真追加
これが日本!19世紀の建物
20世紀初頭1906~