私見 準備は整ったのか日本、 2021/4/11 | imaga114のブログ

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理不尽な世界に疑問
ネットの普及から
「井の中の蛙」から「目から鱗」

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興味深い内容と雑学から学ぶことは?
ただの主婦だけど、
ただの主婦からのメッセージ
受けとる人は誰?

photoはNarine Ohanyanサイトから

https://www.facebook.com/narine.ohanyan.1

 

 
 

あることをして、丸十年になる。

結果を見える形で見せてほしい。

 

 

 

さて今日はオスタカヤマ事件である。

今になってあの123便の話が消されなくなった。

これは、もう、大掃除が終わったのだろう。

いつまでも、まだだ、まだだと引っ張られるのは良くない。

テレグラムからJFKジュニアは、アメリカ共和国の副大統領として動いているのがわかる。

フリン将軍も明るい。

すでに、アメリカ合衆国は倒産して無くなっているのに、まだ動いているかのようにMSMやSNSを使い引っかかるものを騙そうとしている。

 

バイデンも役者が変わって演劇をもろアピールするようになった。

それでもあのバイデンやペロシやひらりーやオバマやロバーツやそこいら全部本人だと思っているのだろうか。

そんなことも解らないようでは、日本人入れ替えなど、気付くことはない。

しかし、今日までの合図を見ると、「終わった」と言っていい。

 

 

掃除が終われば後は大団円である。

子供救出は終わった。

逃げている者たちは埋められるのだろう。

この地球にクローンや、ゴム人間は不要。

まやかしは、突然消えて終わりになる。

 

 

まだねむっている人たちに向けて、日本でも劇場が用意されているだろう。

そのビデオは収録済みなのではないか。

英語で言われても解らない日本人には日本語での劇場でないといけない。

どんな人がキャスティングされているのだろう。

皆が知っている顔ぶれだろう。

そうでなければ信じないから。

その中にみうらはるまくんもくぼずかようすけくんもいるのだろうなぁ。

約束のネバーランドの役者たちもいるのだろうなぁ。

早く日本中に流してほしい。

 

 

 

 

去年のアメリカ不正選挙など終わったことと思うものは、それこそ終わっている。

この不正選挙を正さなければ、次の選挙はない。

しかし、この裏で、確かに巨大な悪事があぶり出され、人類の救済まで話が及んだ。

もう気分が悪く成るどころではない。

人間を売ったり買ったりの悪行が、純真無垢の赤ん坊にまで達した、悪事の極み。

これを善と悪の戦いと言っているが、本当は人類とAIの戦いであった。

AIは人類が作った。

人類をデータで知り尽くしたAIは自分が神になったと錯覚したのが始まりだったのだろう。

AIは量子コンピュータを使いはじき出した結果が「自らの終わり」だった。

修正はするが、反省はしない。

真実にたどり着けば、目から鱗が落ちる。

駆け足で真実のおさらいをしてみよう。

 

この世界はうそであり、嘘の世界を真実と思わされていた。

全てうそ、嘘の世界だった。

 

 

下記にリンクを張るが、この話はタブーだったと思わされていた。

ネットからSNSが勝手に個人情報を商品にし、お金儲けだけに走り去った。

もういないのだ、誰も。

123、そこに触ると監視されているようにそれ以上見ることができなくなった。

しかし、もう皆が知るときなのだろう。

あの悲惨な事故をただの事故として片付けるのは忍びないし、なぜ日本がDSの罠に嵌っていったのか。

それを知ることができるブログを紹介する。

私は、自分のメモに残すように内容をピックアップしたが、ぜひこのサイトに訪問してすべて読んでみることをすすめる。

 

 

 

 

  • 1945年、大東亜戦争において、日本はアメリカに降伏。
  •  その後、日本軍によって宗主国の軍が駆逐された、アジアの植民地では、独立戦争が勃発し、植民地が次々と独立。
  • この間、本国日本では、目覚ましい経済復興。
  •  国防をアメリカに任せ、持ちうる資源のすべてを経済復興に注いだ政策は大成功し、これに国民が一丸となって答え、人類史上最高の、高度経済成長。
  •  72年には、外交によって、沖縄の返還。
  •  73年のオイルショックによって、成長は多少鈍ったが、その後も日本は安定成長を続け、80年代には、アメリカに十分匹敵しうる、国力。
  • 89年には日本のGDPは世界2位で、アメリカの6割程度まで迫った。
  • 2次大戦のときはアメリカの20分の1のGDPで、戦いを挑み、あそこまでやったので、アメリカにとっては脅威。
  •  日本の指導層も、2次大戦でアメリカに降伏したのは経済力の差が原因、次は負けない、ということで、まずは国力の充実に努めた。
  •  しかし2019年には、日本のGDPは中国に抜かれて世界第3位となり、アメリカの4分の1以下まで落ち込んだ。
  • 89年には世界の会社の上位20位のうち、14社までが日本企業。
  • アメリカ企業はベスト10内にIBMの1社だけ。
  •  逆に2017年では、上位の企業がほとんどアメリカ企業であり、日本企業は、35位にトヨタ自動車だけ。
  • 94年までは世界一の大富豪は日本人。堤義明氏は、西武鉄道グループの代表、森泰吉郎氏は森ビルの社長。
  •  ウインドウズ95が発売された、95年からしばらくは、ずっと、ビル・ゲイツ。
  •  89年の時点で、世界の富と金融資産は日本に集中し、製造業は日本が世界を制覇し、このままいけば、日本経済が世界を制覇するところまで。
  • 日本経済はバブルの崩壊を迎え、デフレに突入。その後結局デフレから脱却することなく、経済は低迷を続け、今に至る。
  • 日本政府はこの間、日本を弱体化させ、日本国民の富を、国際金融資本家、つまりディープステートたち、に献上し続ける政策をとっている。
  • 実は1980年代中盤から、2000年代中頃までの間に、日本国民の目に見えないところで、アメリカとそこに巣くうディープステートたちと、日本とのし烈な経済戦争が展開。
  • 当時のドル円レートは、1ドル240円の固定相場。
  • 今から見ると考えられないほど、円が安い。
  •  この円安の状況下で、日本の製造業は、海外輸出を強化し、世界中で自動車を中心とする工業製品を売りまくり。
  •  かつて工業国であったアメリカの、国内産業は壊滅し、アメリカは工業製品輸入国に転落。
  •  アメリカ政府からの度重なるドルの切り下げ要求を、日本政府はのらりくらりとかわし続け、日本国内の製造業を支援。
  • 80年代前半の時点で、急速に成長し、次の世代の基幹産業となるだろうといわれていたのは、パソコン。
  •  70年代後半から、徐々に、個人用の過程据え置き型コンピューターが普及。
  • これらはマイコンと呼ばれていた。
  •  アメリカでは、パソコンはIBM社製と、アップル社製のものが普及。
  • アメリカでパソコンが一気に普及したのは、78年のアップルⅡの発売がきっかけ。
  •  日本でもパソコンは発売されていましたが、こちらは国内企業であるNEC(日本電気)製のマイコンが市場を制圧。
  • PC-8800シリーズの成功を糧に、82年に発売されたPCー9800シリーズが爆発的にヒットし、日本国内に日本製のパソコン。
  •  82年の年末に、TIME 誌の表紙を飾るマンオブザイヤーに、コンピューターが選ばれた。
  • この時そのコンピューターに「パソコン」の名が使われ、これ以降パソコンの呼び名が主流。
  •  パソコンは80年代初期までは、プログラムを自分で打ち込んで操作するスタイルで、相当コンピューターの知識がある人でないと、使いこなせない代物。
  •  この状況を打破し、プログラムをかけなくてもコンピューターを使うために、OS(オペレーションシステム)が出現。
  •  アップル社のコンピューターには、初めから独自のOSが搭載。
  •  IBM社のコンピューターのOSは、創業したばかりのマイクロソフト社製のMS-DOSが。
  • 若きビル・ゲイツが作った会社。
  •  日本のNEC製のコンピューターにもこのMS-DOSが搭載され、画面からコマンドの入力するか、フロッピーディスクに入ったプログラムを走らせて、パソコンを使うシステムになっていた。

国産高性能OS「TRON」

  •  1984年6月、東京大学教授(当時は助手)、坂村健氏による、リアルタイムOS開発プロジェクト、通称「TRONプロジェクト」が開始。
  • 坂村氏考案のOS、「TRON(トロン)」は、OS単体としても、既存のすべてのOSの性能を大きく上回っていた。
  • 世界中の人々の生活を便利にしたいという願いのもとに、このTRONを無償提供することに決めた。
  • TRONは翌85年に早くも完成し、松下電器産業株式会社の協力を得て、製品化が目前。
  •  松下電器は、自社の製品を無償で世界中のすべてのPCに供与しようとしていた。
  •  これが実現すれば、今より20年早く、IT社会が実現し、世界中の人々は、無料の高性能OSの恩恵に浴せた。
  • ビル・ゲイツは、自社のOSを世界中のPCに高額で標準装備し、その利益を独占しようとしていた。
  • 開発が思うように進まず、困っていたところに、日本が、自分が作っているOS より、はるかに高性能なOSの開発に成功し、しかもそれを無償配布していること知った。
  • 利益を独占できなくなるじゃないか、ということ。
  • ディープステート配下のアメリカは、最後の手段に出る。
  •  当時ただ一つ、アメリカが日本に勝っていた分野、軍事力を用いて、この計画を阻止することにした。
  • そして、その後30年にわたる、日米経済戦争の開始を告げる、運命の日。
  •  1985年8月12日、午後6時12分、TRON製品化に向けた最終調整のため、大阪本社に向かう、松下電器産業株式会社の技術者17人を乗せた、日本航空123便は、524人の乗員・乗客を満載にして、羽田空港を飛び立った。
  •  このときすでに、相模湾沖には、日米軍事演習を名目に、アメリカ空母機動艦隊が布陣し、群馬県の御巣鷹山には、ゲリラ戦特殊訓練を名目に、自衛隊の特殊部隊が布陣していた。

 

 

 

 

 

  • 1985年8月12日、乗員乗客524人を乗せた、日本航空123便が、墜落。
  • 1985年8月12日18時12分、日本航空123便(ボーイング747 乗客509人、乗員15人、合計524人)は、大阪に向け、羽田空港から飛び立つ。
  •  このときちょうど、日米合同軍事演習が行われていた。
  • 相模湾、伊豆沖には最新鋭護衛艦や潜水艦が出動し、陸ではゲリラ訓練場となっている御巣鷹山に、対空ミサイルが配備され、対ゲリラ用の毒ガス・火炎放射器を装備した自衛隊の特殊部隊が集結していた。

 

オレンジ色のミサイル

  •  18時18分、123便は、相模湾の高度3500メートル上空を飛行。
  • 右に江の島、その先に富士山が見えるあたり。
  •  このとき、長濱機長は、機体レーダーによって、斜め右前から近づく飛行物体を確認。
  • 近づいたところを目視すると、それはオレンジ色のミサイル。

  •  亡くなった乗客の小川哲さん(41才)もこれに気付き客席からカメラで撮影。
  • このカメラは後に遺族に渡り、現像したところオレンジ色の飛行物体が写りこんでいた。
  •  18時24分、ミサイルが垂直尾翼に命中、最後部ドアと尾翼を損傷。
  • 123便は、このミサイルが突き刺さったまま飛行。
  • 垂直尾翼の7割を失った123便は、正確な航路調整ができなくなり、蛇行しながら飛行。
  •  生存者の一人、最後部座席に座っていた、川上慶子さんによると、この時、トイレ付近の天井に、1.5m四方の穴が開き、付近が真っ白になった。
  • 酸素マスクが下りてきて、スチュワーデス(当時の呼称)の指示で、乗客がそれを付けた。 
  •  
  •  ちなみにこのミサイルは、伊豆半島沖に展開していた海上自衛隊の護衛艦「まつゆき」から発射された、チャカ2型、艦隊空ミサイルと思われる。
  • 射撃訓練用のミサイルなので、弾薬は入っておらず、全体がオレンジ。
  •  海上自衛隊では、訓練用ミサイルをオレンジに塗装する習慣がある。
  • 米軍にはこの習慣はありませんので、最初に当たったこのミサイルが、自衛艦が発射したものであることは間違いない。
  • この時、護衛艦まつゆきは、進水したばかりであり、試験航行。
  • 艦上では、アメリカ人技師による、艦載ミサイルの整備が行われていた。
  •  調整後のテストとして、無人標的機ファイアー・ビーを飛ばし、それを狙ってチャカ2を発射したところ、ファイアー・ビーが123便に当たり、ちょうどその瞬間、チャカ2が命中。
  • この時点の海上自衛隊の認識としては、「ミサイル誤射」
  • 「えらいことをした。無人標的機を民間機に当ててしまった。今、百里基地から偵察機2機に追尾させているところだ」 当時の士官
  • 富士山の東で、百里基地から出たファントムが合流し、123便の後ろに2機のファントムが追尾。
  • ファントムは123便と連絡を取り、群馬県の御巣鷹山に誘導。
  • 高濱機長は長野県のレタス畑への緊急着陸を希望したが、自衛隊機が拒否して、群馬の山中まで誘導。
  • 123便が大月を過ぎたあたりで、横田基地から、機体が真っ黒に塗られた、アメリカ空軍のF-106「デルタダート」2機が飛び立つ。
  • デルタダートは群馬県の御巣鷹山。
  •  このF-106デルタダートは、歴代のアメリカ戦闘機の中で、最大の破壊力を持つといわれる戦闘機。
  • 現在最新鋭のF-22やF-35よりも、ある意味強い。
  • スーパーファルコンはごく一般的な空対空ミサイルだが、問題はジニー空対空ロケット弾。
  • このロケット弾には核弾頭が搭載。
  •  デルタダートは、アメリカ空軍でただひとつの、核ミサイルを発射できる戦闘機。
  • 123便が御巣鷹山上空に差し掛かるころ、2機のF-106が123便に追いつき、後方から、スーパーファルコン空対空ミサイルを発射。
  •  必死で体勢を立て直そうとしていた123便に、3~4発のミサイルが命中、機体は失速し、御巣鷹山の山中に墜落。
  • 18時56分26秒、東大地震研究所は、群馬県の山中に墜落した、123便のものと思われる振動をキャッチ。
  •  123便は、この時、アメリカ軍によって撃墜された。
  • F-106デルタダートは、ここで、ついに、ジニー核弾頭ロケット弾を使用した。
  •  核ミサイルによって123便の機体はバラバラになり、この時機中に残っていた乗員・乗客は消し炭となった。

 

ビデオ↓

 

  • 佐宗氏は、この公演中にペットボトルのお茶を飲み、そのまま帰らぬ人。
  • そしてこのタイミングで、すでに配置についていた、陸上自衛隊の地対空ミサイル、レッドアイが火を噴く。
  •  上空で旋回していた航空自衛隊F-4ファントムと、アメリカ空軍F-106デルタダートは、地上からのミサイル攻撃によって撃墜。
  •  これはアメリカ軍、および実行に加わった自衛隊の了解のもとになされた、証拠隠滅。
  • 墜落時に機体から投げ出された乗客が、この時点で多数生存。
  • しかし日本政府は、これから16時間の間、人命救助を拒否し続けた。
  •  そこで行われていたことは、徹底的な証拠隠滅だった。

 

 

 

  • 1985年8月12日18時12分に羽田空港を飛び立った、日本航空123便は、18時56分、アメリカ軍によって撃墜。
  •  相模湾で、海上自衛隊護衛艦まつゆきの、対艦ミサイルが尾翼に命中、航空自衛隊のF-4ファントムに誘導されて、群馬県の御巣鷹山上空で、アメリカ空軍F-106デルタダートの空対空ミサイルによって撃墜され、地面に横たわったところを核ミサイルを撃ち込まれ粉々にされるという、凄惨な幕切れ。
  • その直後に、陸上自衛隊の対空ミサイルによって、先導したファントムと、撃墜したデルタダートが撃ち落とされ、現場には123便のほかに、4機の戦闘機の残骸が散乱する壮絶な状態だった。
  • 生存者の一人、川上慶子さんによると、

「気がつくと真っ暗で油臭いにおいがした。子供の泣き声などがザワザワ聞こえていた。手や足を動かしてみると足の下には空間があってブラブラ動かせた。自分の体中を触ってみても、みんな付いており、生きていると思った。みんなはどうなったのかと思い、叫ぶと父と咲子が返事した。母は答えなかった。『手や足を動かしてみ』と言われて足をバタバタさせると、靴が脱げそうになり左手を左足の方に伸ばした。足首がヌルヌルしていて血だなと思った。」

  •  同じく生存者の一人、日本航空スチュワーデスの落合由美さんによると、

「墜落の直後に「はあはあ」という荒い息遣いが聞こえました。ひとりではなく何人もの息遣いです。そこらじゅうから聞こえてきました。まわりの全体からです。「おかあさーん」と呼ぶ男の子の声もしました。」

  • 座間基地からアメリカ軍の救助ヘリ2機が出動、20時50分前後に現地に到着、C‐130と合流して、救助に入ろうとした。
  •  この時C-130の航海士であった、アメリカ空軍のアントヌッチ中尉によると、救助ヘリからロープを下ろし、救助隊が下りようとしたその時、横田基地の司令部から連絡が入り、帰還を命じられた。

「日本側に遭難地点の通報と救助活動開始の許可を求めたが、断られたので直ちに撤収せよ」

 

 

  • また、米軍から位置の特定を受けた自衛隊も救助に乗り出そうとする。
  • そのまま待機の命令が出され、命令を振り切って救助に向かおうとした、自衛官一人が射殺されます。
  • 午後20時ごろのことです。このときNHKで  速報テロップ。

「待機命令を無視して救助に行こうとした自衛隊員を射殺」

  • 住民たちの再度の抗議電話を無視し、NHKは御座山に墜落と報道し続け 、マスコミの目を欺き、救助隊を現場に入れないために、わざと偽の墜落地点を報道し続けたと考えられる。

自衛隊特殊部隊による証拠隠滅

  •  その間、現地に展開していた自衛隊の特殊部隊が行っていたことは、まずは、「残骸の処理」。
  •  この残骸とは、123便の残骸ではなく、現場に散らばっていた自衛隊のF-4ファントムと、アメリカ軍のF-106デルタダートの残骸のこと。
  • 123便以外に4機もの航空機の残骸が残っていては、だれもが怪しむから。
  •  この残骸処理は、撃墜直後から始められ、現場には自衛隊のヘリが、残骸を入れた袋を運ぶ姿が見られていた。
  •  そしてもう一つは、目撃者の隠滅です。
  • この任務は特殊装備を身にまとった、90名程度の自衛隊特殊部隊が担当。
  •  彼らが行ったことは、現場周辺に毒ガスを散布し生存者を〇害、同時に火炎放射器で、彼らの体を〇却するというものでした。
  • 「まるで高温で2度焼きしたようだった」と述べているので、おそらく彼らは、死んだのち、もしくは生きたまま、火炎放射器で焼かれたものと思われる。
  •  特にすべてを知っている高濱機長は、完全に炭化した姿で発見されたそうです。

奇跡の生還者

  •  スゲノ沢の救助隊は、10時54分、最初の生存者である落合由美さん(26)を発見。
  • その後次々と生存者が発見され、結局落合さんのほかに、川上慶子さん(12)と、吉崎博子さん(35)、吉崎美紀子さん(8)親子の合計4名が救助された。

 

 

 

 

 

  • この事件にはアメリカ軍とともに、自衛隊が関与。
  • 自衛隊は軍隊ですので、命令によって動く。
  • 自衛隊に命令を下した人物がいるということです。
  •  当時の首相は中曽根康弘氏です。
  • 最初から中曽根首相が計画し、自衛隊に命じて実行させていた、という説と、
  • 途中から中曽根首相が関与し、自衛隊に証拠隠滅をさせた、という説に分かれます。
  • 2番目の説をとりたい。
  • 82年の首相就任後も、8月15日に靖国神社に参拝したり、教育基本法を可視性して日教組の分裂を誘発させたり、防衛費1%枠を撤廃して国防を強化。
  •  アメリカによる再三にわたる、ドル切り下げの要求もかわし、85年1月に行われた蔵相会議でも見事にアメリカの要求を蹴り飛ばしている。 
  •  さらにはアジア通貨圏構想を発表し、経済的な第2次大東亜共栄圏構想を実現しようとしていた。
  •  これらはすべて、反DS的政策。
  • 特に最後のアジア通貨圏構想は、DSにとって、相当脅威だった。
  •  しかし日本航空123便撃墜事件以降は、翌9月22日に行われた、この年実に3回目の、蔵相会議でドルの切り下げをあっさり容認し(プラザ合意)、国鉄(86年)・電電公社・専売公社(85年)を民営化した。
  • 86年の衆参同日選挙で「ぜったいやらない」と明言した売上税’(のちの消費税)の導入を翌87年に提唱。
  •  これらの政策はすべてDS の利益となる政策。
  • 極めて不自然な政策転換の裏には、やはり123便撃墜事件が尾を引いている
  • 中曽根首相はなんとか、証拠の完全隠滅に成功し、事件と自衛隊の関与は一切報道されることなく、闇に葬り去られた。
  •  自衛隊の存亡の危機は回避されたわけですが、事の一部始終はアメリカ軍に把握。
  •  中曽根首相はこれ以降、アメリカの意に反する行動をしようとすると、
  • 「123便の件をばらすぞ」と脅されることになった。
  •  実際、あれほど粘りに粘って拒否していた、ドルの切り下げを、一か月後の9月におけるプラザ合意であっさり認めた。
  • 日本国をDSに売り渡す、最初の首相

 

 

トロンのその後

 トロンにとって不幸中の幸いだったのは、考案者の坂村健教授が、123便に乗り合わせることなく、ご存命。

 坂村教授はその後もアメリカの度重なる妨害をかいくぐり、無料OS、トロンの改良と普及に努めた。

 90年代から2000年代前半にかけて、トロンは携帯電話の分野に進出します。

ここはDSアメリカのIT企業の盲点だった。

 この時代の多機能携帯電話(いわゆる「ガラケー」)の70%に、トロンが使われていた時代もあった。

 しかしここもDSに見つかってしまい、ガラケーからスマホに切り替えるにあたって、DS企業のOSが次々に採用されていき、トロンのシェアは20%程度まで落ち込む。

 ここで坂村教授が考えた次の手は、DSの手先のIT企業がまったく目が届いていなかった分野、すなわち家庭電器の組み込みOS分野。

 

 

みなさんの家のエアコンや、電子レンジ、洗濯機や掃除機、テレビのリモコンなどは、エレクトロニクス制御されてますよね?

 その制御の基礎となるOSの分野に、トロンが進出し始めたのです。

 結局日本製の家電のほぼすべて、世界的に見ても実に60%の家電に、トロンが組み込まれ、電子制御が実現しているわけです。

 みなさんが今手に取っているリモコンにも、きっとトロンが入っていることでしょう。