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「私には夢がある」

 

キング牧師演説の動画 英文、日本語 文字起こし

 

 

 

 

 

 

【日本語字幕】キング牧師演説 "私には夢がある" - Martin Luther King "I Have A Dream"

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1963年8月、アメリカで過酷な人種差別にあえぐ黒人が仕事と自由を求めて気勢を上げた首都での「ワシントン大行進」から、まもなく50年になるのを記念して、同じ場所で8月24日、一層の差別解消を訴えて数万人がデモ行進した。大行進で「私には夢がある」と演説し、人種を超えた融和を説きながら、68年に暗殺されたマーティン・ルーサー・キング牧師の長男マーチン・ルーサー・キング(3世)氏がも参加した。時事通信が伝えた。

キング(3世)氏は「今は(同運動の成果という)郷愁に浸るときではない」と話し、なお残る人種間の不公平や同性愛者に対する差別の解消、移民制度改革などへの一段の取り組みを促した。

    マーティン・ルーサー・キング牧師

    アメリカ・ジョージア州アトランタ出身の黒人の公民権運動家。大学卒業後に南部アラバマ州で牧師となり、1950~60年代に「非暴力主義」を掲げる人種差別撤廃運動を主導した。63年にワシントンで行った「I have a dream(私には夢がある)」の演説は希代の名演説として知られる。64年ノーベル平和賞を史上最年少の35歳で受賞。68年4月、抗議集会のため訪れていたテネシー州メンフィスの宿泊施設で暗殺された。享年39。

    (時事ドットコム「マーティン・ルーサー・キング牧師」より)

1963年8月28日に行われた、キング牧師の演説の翻訳全文を掲載する。英文は、駐日アメリカ合衆国大使館「アメリカ早分かり」で読むことができる。

    本日私が、アメリカ合衆国史上、もっとも偉大な自由のためのデモとして歴史に刻まれることになるこの集会に、みなさんとともに参加できることを嬉しく思う。

    100年前、ある偉大なるアメリカ人がいた。我々は今日、その人物をかたどった像の前にいる(訳注・エイブラハム・リンカーン元大統領)。彼は奴隷解放宣言に署名した。この画期的な布告によって、情け容赦ない不公平の火の海にさらされてきた何百万もの黒人奴隷たちに素晴らしい希望の光がもたらされた。奴隷解放宣言は、囚われの身であった彼ら黒人奴隷の長い夜が終わり、喜びに満ちた夜明けとなった。

    しかし100年後の今、我々は痛ましい現実に向き合わなければならない。それは、黒人が未だに自由ではないということだ。

    100年後の今、黒人の生活は、不幸にも未だに人種隔離の手かせと人種差別の足かせによって縛り付けられている。

    100年後、黒人は物質的な繁栄という広大な海原の真っただ中に浮かぶ貧困という孤島に暮らしている。

    100年後、黒人は未だにアメリカの社会の片隅でみじめに暮らし、自分たちの国なのに国外追放者かの如く感じてしまう。

    そこで我々が今日ここに集結したのは、この悲惨な状況を浮き彫りにするためである。

    ある意味、我々が私たちの首都に来たのは、小切手を換金するためである。我々の共和国を建設した人たちが合衆国憲法と独立宣言に高尚な言葉を書き記した時、彼らは、あらゆるアメリカ国民が受け継ぐことになる約束手形に署名したのである。この約束手形には、ある誓約がある。それは、すべての人々が生命、自由、そして幸福の追求という、奪われることのない権利を保証される、ということだ。

    今明らかに、アメリカは有色人種の市民に関してこの約束手形の履行を怠っている。アメリカはこの神聖な義務を履行するどころか、黒人に対して不渡りの小切手を渡した。しかもその小切手は「残高不足」の印をつけられて戻ってきたものである。

    だが我々は、正義の銀行が破産しているとは信じない。この国の可能性という巨大金庫が残高不足であるとは信じない。そこで我々は、この小切手を現金化するためにやって来た――自由という財産を、そして正義という保証を、要求に応じて受け取れる小切手を現金化するためにやって来たのだ。我々はまた、アメリカに目下深刻な緊急事態であることを知らしめるために、この神聖な場所に来ている。今は、冷却期間を置く余裕を持ったり、漸進主義という薬を処方して沈静化させたりする時ではない。

    今こそ、民主主義の約束を実現する時である。

    今こそ、暗く荒れ果てた人種差別の谷間から這い上がり、日の当たる人種間の平等の道へと歩む時である。

    今こそ、我々の国を、人種間の不平等という泥沼から、兄弟愛という強固な岩へと引き上げる時である。

    今こそ、すべての神の子のために、正義を実現する時である。

    国家が目下起きている緊急事態に対し見て見ぬふりをすれば、致命的なことになりかねない。黒人たちの真っ当な不満が渦巻くこのうだるように暑い夏は、自由と平等という爽やかな秋が来るまでは過ぎ去らない。1963年は、終わりではなく、始まりなのだ。黒人は憂さを晴らす必要があったからこれでもう満足するだろうと期待する人々は、国家が旧態依然の状況に戻ったとしたら、幻滅することになるだろう。黒人に公民権が与えられるまでは、アメリカには安息も平穏も訪れることはない。正義が出現する明るい日が来るまで、抵抗の嵐はこの国の根幹を揺るがし続けることになる。

    しかし私は同胞たちに言わなければならないことがある。正義という殿堂に通じる熱を帯びた入り口に立つ同胞たちよ。正当な地位をを獲得する過程で、我々は決して不法行為の罪を犯してはならない。

    我々は、敵意と憎悪の杯を飲み干すことで、自由への渇きを癒やすのはやめよう。

    我々は、尊厳と規律を保った高い次元で闘争を行わなくてはならない。

    我々の創造性に富んだ抗議を、物理的な暴力へと貶めてはならない。

    何度でも何度でも、我々は物理的な力に対して魂の力で立ち向かうという威厳ある高みへと登りつめなければならない。

    驚くような新たな闘争心が黒人社会を包み込んでいる。しかしそれがすべての白人に対する不信につながってはならない。なぜなら、我々の白人の兄弟の多くが、今日彼らがここにいることからもわかるように、彼らの運命が我々の運命と結び付いていることを認識するようになったからである。そして、彼らの自由が我々の自由と密接に結びついていることを認識するようになったからである。

    我々は、一人で歩くことはできない。

    そして、歩くためには、前進し続けることを表明しなければならない。

    我々は後戻りできない。

    公民権運動に身を捧げる人々に対してこう尋ねる人たちがいる。「いつになればあなたたちは満足するのか」と。

    我々は決して満足しない。黒人が、言葉に言い表せないような警察の恐ろしい虐待行為の犠牲者である限りは。

    我々は決して満足しない。旅に疲れて重くなった体を休めるため、ハイウェイ沿いのモーテルや街のホテルに宿泊することができない限りは。

    我々は満足しない。黒人の基本的な行動範囲が、小さなゲットーから大きなゲットーまでである限りは。

    我々は決して満足しない。我々の子どもたちが、「白人専用」という表示によって、自我を奪われ、尊厳が損なわれる限りは。

    我々は決して満足しない。ミシシッピ州の黒人が投票できず、ニューヨーク州の黒人が投票をしても意味がないと信じて疑わない限りは。

    そう、決して、我々は満足しないのだ。

    そして、我々は満足しない。「正義を洪水のように/恵みの業を大河のように/尽きることなく流れさせよ」(訳注・旧約聖書アモス書5章24節)。

    私は、あなたがたの中に大変な試練と苦難から脱してきた人々が、今日ここにいることに対して気を留めずにはいられない。あなたがたの中に、刑務所の狭い独房から出てきたばかりの人もいる。そしてあなたがたの中に、自由を追求したがゆえに迫害の嵐に打ちのめされ、警察の虐待行為の逆風によろめいた場所からやって来た人たちもいる。あなたがたは、他にはない苦痛を受けた歴戦の勇者である。報われない苦しみは贖われるという信念を持って活動し続けよう。

    帰ろう、ミシシッピへ。

    帰ろう、アラバマへ。

    帰ろう、サウスカロライナへ。

    帰ろう、ジョージアへ。

    帰ろう、ルイジアナへ。

    帰ろう、北部の都市のスラム街やゲットーへ。

    とにかくこの状況を変えられると、そして変わると信じて。

    絶望の谷間でもがくのはやめよう。友よ、今日私は皆さんに言いたい。我々は今日も明日も困難に直面しているが、それでも私には夢がある。それは、アメリカンドリームに深く根ざした夢である。

    私には夢がある。いつの日か、この国が立ち上がり、「すべての人間は生まれながらにして平等であることを、自明の真理と信じる」(訳注・アメリカ独立宣言)というこの国の信条を真の意味で実現させるという夢が。

    私には夢がある。いつの日か、ジョージア州の赤土の丘で、かつての奴隷の子孫たちとかつての奴隷所有者の子孫たちが、兄弟の間柄として同じテーブルにつくという夢が。

    私には夢がある。いつの日か、不公平と抑圧という灼熱の炎にさらされているミシシッピ州でさえ、自由と正義のオアシスへと生まれ変わるという夢が。

    私には夢がある。いつの日か、私の4人の幼い子どもたちが、肌の色ではなく、人格の中身によって評価される国で暮らすという夢が。

    今日、私には夢がある!

    私には夢がある。いつの日か、卑劣な人種差別主義者たちがいて、「連邦政府の干渉排除」や「連邦権力の無効化」という言葉を弄する州知事のいるアラバマ州でさえも、いつの日かそのアラバマでさえも、黒人の少年少女が白人の少年少女と兄弟姉妹として手を取り合うようになるという夢が。

    今日、私には夢がある!

    私には夢がある。それは、いつの日か、「谷はすべて身を起こし、山と丘は身を低くせよ。険しい道は平らに、狭い道は広い谷となれ。主の栄光がこうして現れるのを/肉なる者は共に見る。主の口がこう宣言される」という夢が。(訳注・旧約聖書イザヤ書4-5)

    これが我々の希望である。この信念をもって、私は南部へ帰る。

    この信念があれば、我々は絶望の山の中から希望の石を切り出すことができる。

    この信念があれば、我々はこの国の騒々しい不協和音を美しき兄弟愛のシンフォニーに変えることができる。

    この信念があれば、我々はいつの日かともに働き、ともに祈り、ともに闘い、ともに罪を償い、ともに自由のために立ち上がることができるだろう。いつの日か自由になると確信して。

    そしてその日こそが、その日こそが、神の子たち全員が新しい意味を込めて、このように歌うことができる。「わが祖国、それは汝のもの。素晴らしき自由の地よ、汝に私は歌う。わが祖先たちが骨を埋めた大地よ、巡礼者の誇りである大地よ。あらゆる山々から、自由よ、響きわたれ!」

    そして、アメリカが偉大な国家となるためには、これを実現せねばならない。

    だからこそ、自由の鐘を響かせよう、ニューハンプシャーの広大な丘の上から。

    自由の鐘を響かせよう、ニューヨークの雄大な山脈から。

    自由の鐘を響かせよう、ペンシルベニアのアレゲーニー山脈の高みから。

    自由の鐘を響かせよう、雪に覆われたコロラドのロッキー山脈から。

    自由の鐘を響かせよう、カリフォルニアのなだらかな丘陵から。

    それだけではない。

    自由の鐘を響かせよう、ジョージアのストーン・マウンテンから。

    自由の鐘を響かせよう、テネシーのルックアウト・マウンテンから。

    自由の鐘を響かせよう、ミシシッピのすべての丘とくぼみから。

    すべての山々から、自由の鐘を響かせよう。

 

   これが実現した時、自由の鐘を響かせた時、あらゆる村やあらゆる集落、あらゆる州とあらゆる都市から自由の鐘を響かせた時、我々は神の子全員が、そして黒人も白人も、ユダヤ教徒もユダヤ教徒以外の人も、プロテスタントもカトリックも、ともに手をとり合って古い黒人霊歌を歌うことのできる日が来るのを早めることができる。

    「ついに自由になった! ついに自由になった! 全能の神に感謝しよう、我々はついに自由になったのだ!」

 

 

 

 

原文

Martin Luther King's "I Have a Dream" Speech

 

Martin Luther King Jr.

PDF (470 KB, 8 p.)

 

August 28, 1963   I am happy to join with you today in what will go down in history as the greatest demonstration for freedom in the history of our nation.

 

 Five score years ago, a great American, in whose symbolic shadow we stand today, signed the Emancipation Proclamation. This momentous decree came as a great beacon light of hope to millions of Negro slaves who had been seared in the flames of withering injustice. It came as a joyous daybreak to end the long night of their captivity.

But one hundred years later, the Negro still is not free. One hundred years later, the life of the Negro is still sadly crippled by the manacles of segregation and the chains of discrimination. One hundred years later, the Negro lives on a lonely island of poverty in the midst of a vast ocean of material prosperity. One hundred years later, the Negro is still languished in the corners of American society and finds himself an exile in his own land. And so we've come here today to dramatize a shameful condition.

In a sense we've come to our nation's capital to cash a check. When the architects of our republic wrote the magnificent words of the Constitution and the Declaration of Independence, they were signing a promissory note to which every American was to fall heir. This note was a promise that all men, yes, black men as well as white men, would be guaranteed the "unalienable Rights" of "Life, Liberty and the pursuit of Happiness." It is obvious today that America has defaulted on this promissory note, insofar as her citizens of color are concerned. Instead of honoring this sacred obligation, America has given the Negro people a bad check, a check which has come back marked "insufficient funds."

But we refuse to believe that the bank of justice is bankrupt. We refuse to believe that there are insufficient funds in the great vaults of opportunity of this nation. And so, we've come to cash this check, a check that will give us upon demand the riches of freedom and the security of justice.

We have also come to this hallowed spot to remind America of the fierce urgency of Now. This is no time to engage in the luxury of cooling off or to take the tranquilizing drug of gradualism. Now is the time to make real the promises of democracy. Now is the time to rise from the dark and desolate valley of segregation to the sunlit path of racial justice. Now is the time to lift our nation from the quicksands of racial injustice to the solid rock of brotherhood. Now is the time to make justice a reality for all of God's children.

It would be fatal for the nation to overlook the urgency of the moment. This sweltering summer of the Negro's legitimate discontent will not pass until there is an invigorating autumn of freedom and equality. Nineteen sixty-three is not an end, but a beginning. And those who hope that the Negro needed to blow off steam and will now be content will have a rude awakening if the nation returns to business as usual. And there will be neither rest nor tranquility in America until the Negro is granted his citizenship rights. The whirlwinds of revolt will continue to shake the foundations of our nation until the bright day of justice emerges.

But there is something that I must say to my people, who stand on the warm threshold which leads into the palace of justice: In the process of gaining our rightful place, we must not be guilty of wrongful deeds. Let us not seek to satisfy our thirst for freedom by drinking from the cup of bitterness and hatred. We must forever conduct our struggle on the high plane of dignity and discipline. We must not allow our creative protest to degenerate into physical violence. Again and again, we must rise to the majestic heights of meeting physical force with soul force.

The marvelous new militancy which has engulfed the Negro community must not lead us to a distrust of all white people, for many of our white brothers, as evidenced by their presence here today, have come to realize that their destiny is tied up with our destiny. And they have come to realize that their freedom is inextricably bound to our freedom.

We cannot walk alone.

And as we walk, we must make the pledge that we shall always march ahead.

We cannot turn back.

There are those who are asking the devotees of civil rights, "When will you be satisfied?" We can never be satisfied as long as the Negro is the victim of the unspeakable horrors of police brutality. We can never be satisfied as long as our bodies, heavy with the fatigue of travel, cannot gain lodging in the motels of the highways and the hotels of the cities. We cannot be satisfied as long as the negro's basic mobility is from a smaller ghetto to a larger one. We can never be satisfied as long as our children are stripped of their self-hood and robbed of their dignity by a sign stating: "For Whites Only." We cannot be satisfied as long as a Negro in Mississippi cannot vote and a Negro in New York believes he has nothing for which to vote. No, no, we are not satisfied, and we will not be satisfied until justice rolls down like waters, and righteousness like a mighty stream.

 

I am not unmindful that some of you have come here out of great trials and tribulations. Some of you have come fresh from narrow jail cells. And some of you have come from areas where your quest -- quest for freedom left you battered by the storms of persecution and staggered by the winds of police brutality. You have been the veterans of creative suffering. Continue to work with the faith that unearned suffering is redemptive. Go back to Mississippi, go back to Alabama, go back to South Carolina, go back to Georgia, go back to Louisiana, go back to the slums and ghettos of our northern cities, knowing that somehow this situation can and will be changed.

Let us not wallow in the valley of despair, I say to you today, my friends - so even though we face the difficulties of today and tomorrow, I still have a dream. It is a dream deeply rooted in the American dream.

 

I have a dream that one day this nation will rise up and live out the true meaning of its creed: "We hold these truths to be self-evident, that all men are created equal."

I have a dream that one day on the red hills of Georgia, the sons of former slaves and the sons of former slave owners will be able to sit down together at the table of brotherhood.

 

I have a dream that one day even the state of Mississippi, a state sweltering with the heat of injustice, sweltering with the heat of oppression, will be transformed into an oasis of freedom and justice.

I have a dream that my four little children will one day live in a nation where they will not be judged by the color of their skin but by the content of their character.

 

I have a dream today!

I have a dream that one day, down in Alabama, with its vicious racists, with its governor having his lips dripping with the words of "interposition" and "nullification" -- one day right there in Alabama little black boys and black girls will be able to join hands with little white boys and white girls as sisters and brothers.

 

I have a dream today!

I have a dream that one day every valley shall be exalted, and every hill and mountain shall be made low, the rough places will be made plain, and the crooked places will be made straight, and the glory of the Lord shall be revealed and all flesh shall see it together.

This is our hope, and this is the faith that I go back to the South with.

With this faith, we will be able to hew out of the mountain of despair a stone of hope. With this faith, we will be able to transform the jangling discords of our nation into a beautiful symphony of brotherhood. With this faith, we will be able to work together, to pray together, to struggle together, to go to jail together, to stand up for freedom together, knowing that we will be free one day.

And this will be the day -- this will be the day when all of God's children will be able to sing with new meaning:

"My country 'tis of thee, sweet land of liberty, of thee I sing.

Land where my fathers died, land of the Pilgrim's pride,

From every mountainside, let freedom ring!"

And if America is to be a great nation, this must become true.

And so let freedom ring from the prodigious hilltops of New Hampshire.

Let freedom ring from the mighty mountains of New York.

Let freedom ring from the heightening Alleghenies of Pennsylvania.

Let freedom ring from the snow-capped Rockies of Colorado.

Let freedom ring from the curvaceous slopes of California.

But not only that:

Let freedom ring from Stone Mountain of Georgia.

Let freedom ring from Lookout Mountain of Tennessee.

Let freedom ring from every hill and molehill of Mississippi.

From every mountainside, let freedom ring.

And when this happens, when we allow freedom ring, when we let it ring from every village and every hamlet, from every state and every city, we will be able to speed up that day when all of God's children, black men and white men, Jews and Gentiles, Protestants and Catholics, will be able to join hands and sing in the words of the old Negro spiritual:

"Free at last! Free at last!

Thank God Almighty, we are free at last!"


Copyrighted by Dr. Martin Luther King, Jr. 1963. Authorized by The King Center, Atlanta, GA. For more information about building Dr. King’s Beloved Community, visit www.thekingcenter.org

 

 

自動翻訳

マーティン・ルーサー・キング・ジュニア。

PDF(470 KB、8ページ)

1963年8月28日
キング1963年8月28日、ワシントンDC
(©APImages)

私は今日、私たちの国の歴史の中で最大の自由のデモンストレーションとして歴史に残るものにあなたと一緒に参加できることを嬉しく思います。

5スコア年前、私たちが今日立っている象徴的な影の中にいる偉大なアメリカ人が奴隷解放宣言に署名しました。この重大な法令は、不公正の枯渇の炎に包まれた何百万人もの黒人奴隷への希望の大きな光としてもたらされました。彼らの捕虜の長い夜を終わらせるのは楽しい夜明けとして来ました。

しかし、100年後、黒人はまだ自由ではありません。 100年後、黒人の生活は依然として人種差別の手品と差別の連鎖によって悲しげに不自由になっています。 100年後、黒人は物質的な繁栄の広大な海の真っ只中にある孤独な貧困の島に住んでいます。 100年後、黒人はまだアメリカ社会の隅々で苦しんでおり、自分の土地に亡命していることに気づきます。そして、私たちは今日ここに来て、恥ずべき状態を脚色しました。

ある意味で、私たちは小切手を現金化するために私たちの国の首都に来ました。私たちの共和国の建築家が憲法と独立宣言の壮大な言葉を書いたとき、彼らはすべてのアメリカ人が相続することになっていた約束手形に署名していました。このメモは、すべての男性、はい、黒人男性と白人男性が「生命、自由、そして幸福追求」の「不可侵の権利」を保証されるという約束でした。彼女の色の市民に関する限り、アメリカがこの約束手形をデフォルトにしたことは今日明らかです。この神聖な義務を尊重する代わりに、アメリカは黒人の人々に悪い小切手を与えました。小切手は「不十分な資金」とマークされて戻ってきました。

しかし、私たちは正義の銀行が破産していると信じることを拒否します。私たちは、この国の大きなチャンスの金庫に十分な資金がないことを信じることを拒否します。それで、私たちはこの小切手を現金化するようになりました。これは、要求に応じて自由の豊かさと正義の安全を私たちに与える小切手です。

私たちはまた、アメリカに今の熾烈な緊急性を思い出させるために、この神聖な場所に来ました。今は、冷やす贅沢に従事したり、漸進主義の鎮静剤を服用したりする時ではありません。今こそ、民主主義の約束を実現する時です。今こそ、人種差別の暗く荒涼とした谷から人種的正義の太陽に照らされた道へと立ち上がる時です。今こそ、私たちの国を人種的不公正の流砂から兄弟愛の堅固な岩へと引き上げる時です。今こそ、神のすべての子供たちのために正義を実現する時です。

国がその瞬間の緊急性を見落とすことは致命的だろう。黒人の正当な不満のこの蒸し暑い夏は、自由と平等の爽快な秋が来るまで過ぎません。 19 63は終わりではなく、始まりです。そして、黒人が蒸気を吹き飛ばす必要があり、今や満足することを望む人々は、国がいつものようにビジネスに戻った場合、失礼な目覚めをするでしょう。そして、黒人が彼の市民権を与えられるまで、アメリカには休息も静けさもありません。反乱の旋風は、正義の明るい日が現れるまで、私たちの国の基盤を揺るがし続けるでしょう。

しかし、正義の宮殿につながる暖かい敷居に立っている私の人々に私が言わなければならないことがあります:私たちの正当な場所を獲得する過程で、私たちは不法な行為の罪を犯してはなりません。苦しみと憎しみの杯から飲むことによって、自由への渇望を満たそうとしないようにしましょう。私たちは、尊厳と規律の高い面で永遠に闘いを行わなければなりません。私たちの創造的な抗議が身体的暴力に退化することを許してはなりません。何度も何度も、私たちは物理的な力と魂の力との出会いの壮大な高みに立ち上がらなければなりません。

黒人コミュニティを巻き込んだ驚くべき新しい戦闘は、私たちをすべての白人の不信に導いてはなりません。今日ここにいることから明らかなように、私たちの白人兄弟の多くは、彼らの運命が私たちの運命と結びついていることに気づきました。 。そして彼らは、彼らの自由が私たちの自由と密接に結びついていることに気づきました。

一人で歩くことはできません。

そして、歩きながら、常に前進することを誓わなければなりません。

後戻りすることはできません。

公民権の信者に「いつ満足するのか」と尋ねる人がいます。黒人が警察の残虐行為の言いようのない恐怖の犠牲者である限り、私たちは決して満足することはできません。旅の疲れで重い私たちの体が高速道路のモーテルや都市のホテルに宿泊できない限り、私たちは決して満足することはできません。黒人の基本的な機動性が小さなゲットーから大きなゲットーまでである限り、私たちは満足することはできません。子供たちが「白人だけのために」と書かれた看板によって彼らの自己フードを剥奪され、彼らの尊厳を奪われている限り、私たちは決して満足することはできません。ミシシッピ州の黒人ができない限り、私たちは満足することはできません

 

投票すると、ニューヨークの黒人は、投票するものが何もないと信じています。いいえ、いいえ、私たちは満足していません。そして、正義が水のように転がり、義が強大な流れのように転がるまで、私たちは満足しません。

あなた方の何人かが偉大な試練と苦難からここに来たことを私は気にしません。あなた方の何人かは狭い刑務所の独房から新鮮になりました。そして、あなた方の何人かは、あなたの探求-自由への探求があなたを迫害の嵐に打ちのめされ、警察の残虐行為の風によろめかせた地域から来ました。あなたは創造的な苦しみのベテランでした。未獲得の苦しみは贖いであるという信仰を持って働き続けます。ミシシッピに戻り、アラバマに戻り、サウスカロライナに戻り、ジョージアに戻り、ルイジアナに戻り、北部の都市のスラム街とゲットーに戻ります。この状況はどういうわけか変わる可能性があり、変わることを知っています。

絶望の谷に溺れないようにしましょう。今日、私の友人たちに言います。ですから、今日と明日の困難に直面しても、私にはまだ夢があります。アメリカンドリームに深く根ざした夢です。

私はいつの日かこの国が立ち上がり、その信条の真の意味を実現することを夢見ています。「私たちはこれらの真実を自明であり、すべての人間は平等に創造されている」。

いつの日かジョージアの赤い丘で、元奴隷の息子と元奴隷所有者の息子が兄弟の食卓に一緒に座れるようになることを夢見ています。

いつの日か、不正の熱に満ち、抑圧の熱に満ちたミシシッピ州でさえ、自由と正義のオアシスに変わることを夢見ています。

私の4人の小さな子供たちは、いつの日か、肌の色ではなく、性格の内容によって判断される国に住むことを夢見ています。

今日は夢があります!

ある日、アラバマで、悪質な人種差別主義者がいて、知事が「介入」と「無効化」の言葉で唇を滴らせている夢があります。ある日、アラバマで小さな黒人の男の子と黒人の女の子が姉妹や兄弟として小さな白人の男の子や白人の女の子と手を組むことができます。

今日は夢があります!

いつの日か、すべての谷が高くなり、すべての丘と山が低くなり、荒れた場所が平地になり、曲がった場所がまっすぐになり、主の栄光が明らかになり、すべての肉はそれを一緒に見るでしょう。

これが私たちの希望であり、これが私が南に戻る信仰です。

この信仰によって、私たちは絶望の山から希望の石を切り出すことができるでしょう。この信仰によって、私たちは私たちの国の混乱している不和を兄弟愛の美しい交響曲に変えることができるでしょう。この信仰によって、私たちはいつか自由になることを知って、一緒に働き、一緒に祈り、一緒に奮闘し、一緒に刑務所に行き、一緒に自由のために立ち上がることができるようになります。

そして、これは日になるでしょう-これは、神のすべての子供たちが新しい意味で歌うことができる日になるでしょう:

「私の国」は、私が歌うあなたの、自由の甘い土地です。

私の先祖が亡くなった土地、巡礼者の誇りの土地、

すべての山腹から、自由を鳴らそう!」

そして、アメリカが偉大な国になるためには、これは真実にならなければなりません。

そして、ニューハンプシャーの壮大な丘の頂上から自由を鳴らしましょう。

ニューヨークの強大な山々から自由を鳴らしましょう。

ペンシルベニアのアレゲーニー山脈の高まりから自由を呼び起こしましょう。

コロラドの雪をかぶったロッキー山脈から自由を鳴らしましょう。

カリフォルニアの曲がりくねった斜面から自由を鳴らしましょう。

しかしそれだけではありません:

ジョージアのストーンマウンテンから自由を鳴らしましょう。

テネシー州のルックアウトマウンテンから自由を鳴らしましょう。

ミシシッピのすべての丘とモグラヒルから自由を鳴らしましょう。

すべての山腹から、自由を鳴らしましょう。

そして、これが起こるとき、私たちが自由の鳴き声を許すとき、私たちがすべての村とすべての集落から、すべての州とすべての都市からそれを鳴らすようにするとき、私たちは神の子供たち、黒人男性と白人男性のすべてがその日をスピードアップすることができます、ユダヤ人と異邦人、プロテスタントとカトリック教徒は、手を取り合って、古い黒人の霊歌の言葉で歌うことができます:

「ついに自由!ついに自由!

全能の神に感謝します、私たちはついに自由になりました!」

マーティンルーサーキングジュニア1963年著作権。ジョージア州アトランタのキングセンターが認可。キング博士の最愛のコミュニティの構築の詳細については、www.thekingcenter.orgをご覧ください。