宮崎正弘氏の情報より
「慄」と「美」と。武蔵流の文武両道の極意とは
武より文への、めくるめく飛翔だった
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竹本忠雄『宮本武蔵 超越のもののふ』(勉誠出版)
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画期的な宮本武蔵論である。
そのうえカラーで武蔵の残した屏風画
本書は先にフランス語で書かれ、フランスで最初に出版された。
フ
基底は精神論。
そして美術論である。武蔵はかなり多くの水墨画と
本書を通読して、おそらく下記の箇所がもっとも竹本氏が言いたか
「剣聖としてのみならず、画聖としての宮本武蔵が、騎士道を憧憬
逆にわれわれ日本
フランス文化に通暁し、マルロオの理解者として通訳、翻訳を通し
その経歴が本書を生み出す根
宮本武蔵といえば、通説に従うと備中美作うまれの暴れん坊、十七
やが
しかし、その後の研究で通説より十歳上、関ヶ原の参戦は二十八の
生涯、五十数回の真剣勝負に全勝した。巌流島の佐々木小次郎との
なによりも武蔵は思想家だったのだ。そして哲学書とも言える『五
『五輪書』は英訳され、仏訳され、世界二十ヶ国語に翻訳されて広
『五輪書』は孫子とは正反対の書であり、謀略と卑怯を斥け、正々
だが、多くが誤解し、「毒をもった危険な書」と坂口安吾が評し、
日本国内ですら、じつは宮本武蔵は吉川英治の小説が普及した結果
吉川は劇的効果をあげるために史
架空のヒロインである。吉川文
映画にも何回かなった。
五十本の映画が作られ、漫画の『バカボン
レーガン大統領が来日し、中曽根首相の「日の出山荘」の囲炉裏を
青梅にある吉川英治記念館は広い庭園、書斎がそのまま残り、評者
父は『新平家物語』をよむために毎週、
高校生時代に、三週間ほどかけて吉川英治の『宮本武蔵』(この時
この小説は志操、
吉川英治は
「正しい武蔵像」とは何か。
剣豪でもあったが、武蔵は芸術家、思想家だったという重大なポイ
本書はひたすら、芸術家、思想家としての武蔵を追っている。ほと
竹本氏が半世紀近く前、巴里から帰国されて、つくば大学教授に就
当時、貿易会社をやっていた評者は、
Tは青春時代に米国へわたり各
二人して渋谷の書斎を訪ねた。初回は三島論、延々
氏はカンボジアの平和活動にながらく従事していたので、精霊につ
マルロオと三島に通底するのは、騎士道と武士道の精神だと竹本氏
御二人とも
熊本県八代市に松代城代だった松井家の文庫がある。
偶然、熊本県
武蔵関連の展示が幾つ
御当主の松井氏が何点か案内してくれたのだが、その時
現在、武蔵の画は鶉図、屏風、達磨などが目白台の
武蔵の辞世。
「天仰げば実相園満、兵法逝き去りて 絶えず」。