★★第八章 マレーシア経済は少数派の華僑とインドが握る | imaga114のブログ

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宮崎正弘氏の情報ですが、これはアジアの国々の今と紹介の内容です。

毎日のニュースとは少し違いますが、興味深い内容を含むので

振り返って掲載します。

 

 

第二部 「暴走老人 アジアへ」(第1節 アセアンの国々)

第八章 マレーシア経済は少数派の華僑とインドが握る

  ▲気がつけば「中国の植民地」になりかけていた

 「マレーシアはイスラム国家のなかでは稀な民主国家である」(ロバート・カプラン『アジアの大鍋』。拙訳)

 

 マレーシアは意外に人口が少なく(2500万人)、しかも国民の35%が華僑である。

 

必然的に中国の影響が政治を大きく左右する。マレーシアは北京との対立を上品に回避してきた。

 

 それでもなくてもフラッグキャリアのマレーシア航空(MH)は厄災に連続的に祟られ、一機は南インド洋あたりで行方不明に、またウクライナ上空を飛んでいるとミサイルに撃墜されるなどさんざんな目にあった。

 

 

 中国海軍が偉そうに進出し、マレーシア領海にある島々をかってに盗んでしまった。

 

 マレーシアが領有を宣言しているいくつかの岩礁は南砂群島のなかにあり、領海内ではつねに中国漁船が違法操業を繰り返した。

 

しかし、マレーシアはこれまで国連に提訴するだけで、軍を動かして漁船を取り締まるという直接行為は忍耐強く避けてきた。

 

 

 

 クアラルンプールのチャイタウンは宏大で、活気があり、夜ともなると屋台が犇めき、外国人観光客も大勢が食事に来ている。一年中お祭り騒ぎである。

 

 いつだったか、屋台をひやかしていたら流暢な英語を喋る外国人に出くわした。

 

ドイツ人で、すっかりマレーシアに取り憑かれ、三年ほど屋台を引きながら暮らしているという。

 

 筆者はマレーシアに五、六回ほど行っているが、ペナン島がTSUNAMI被害を受けたとき、かつて宿泊したホテルが流されている映像を目撃し愕然となった記憶がある。

 

 海上交通路としてマレー半島の西側が昔から開け、クラン港、マラッカ港、そしてシンガポールとの結節点にジョホール・バルがある

 

 半世紀近く前に初めてクララルンプールに立ち寄ったとき、滞在が24時間しかなかったので、車をチャーターし、半日だけ市内をみて回った。

 

当時は行き交う車両はすくなく、英国時代の豪奢な建物が多く残り、美観が良いという印象があった。

タバコはすべて英国製で、ロスマンス、ダンヒル、555(スリーファイブ)だった。

 

 そのクアラルンプールは近代都市に変貌していた。

 

 いまやプラタナスのツインタワーを中心に超近代的都市として生まれ変わり、空港から市内へのアクセスは特急列車で二十五分ほど。

 

車なら渋滞が多いので一時間かかる。

 

 市場は物資で溢れ、国際色豊かで、西欧風のカフェのとなりに古風な和食レストラン、その隣が無国籍料理の居酒屋と、殆どイスラム国家という風情がなく、その香りがしない。

 

インド系も多く、ヒンズーの巨大な寺院が北の郊外にどっかと腰を据え、あたかもチャイナタウンの殷賑を睥睨するかのような都市構図である。

 

 

 

 

 ▲イスラムの強烈な文化の臭いが希薄

 マレーシア国民は性格的におとなしく、過激なイスラム原理主義を忌避する。

 

近年、マレーシア国内でのテロは殆どないが、14年にマレーシア航空が二度の航空機事故に見舞われ、経営がふらふらとなった。

 

トナム沖で消息を絶ったマレーシア航空機は、南インド洋で墜落したと見られるが、爾来、六年を経過しても、まだ残骸は見つからず、またウクライナ上空で撃墜された事件の犯人は、親ロシアの武装勢力だったのか、あるいはウクライナ過激派の演出であったのか、依然として真相は藪の中である。

 

 マレーシアの南端ジョホール・バルのすぐ傍にフォレスト・シティが造成されており、この開発をめぐってナショナリズムが沸騰し、政界を揺さぶった。

 

 

 

 フォレスト・シティはシンガポールとの西端国境近くに70万人口の高級団地を中核とする人工都市を造ろうというもの。

 

総工費1000億ドル。民間企業のカウンティガーデンが造成、建設、販売を担い、すでに最初の一区画は一万戸を販売した。その90%が中国人だった。 

 

現在、道半ばだが、2本の橋梁も架けられ、リゾートホテルも営業している。

 

この地区のマンション群の大半が中国人所有だから、さすがにおとなしいマレーシアでもナショナリズムに火が付いた。

 

 「このままでは中国の植民地となるではないか。

 

中国の身勝手をこのまま許すのは政治の貧困以外の何物でもない」とマハティール前首相(その後、首相に返り咲いた)が反対の狼煙を上げると野党は一気に活気ついたのである。

 

 

 

 

 ▼中国主導の新幹線プロジェクトをキャンセル

 2018年選挙で、よもやまさか、引退した筈の老人が野党をまとめ上げて出馬し、首相に復帰したのだ。この「マハティール・ショック」(中国にとっての衝撃だが)は激甚だった。

 

 数々のスキャンダルと汚職にまみれていた親中派のナジブ首相が「まさかの落選」をし、93歳のマハティールが首相復帰、中国の事前の想定にはまったくなかった事態となった。

 

 政権発足直後、マハティールは中国主導の「新幹線プロジェクト」と「ボルネオのガス・パイプライン工事」の中止を発表した。

 

総額230億ドルを超える、習近平の目玉「シルクロード」プロジェクトの一環である。

 

 

 

つぎにマハティールは中国の投資家へ警告を発した。

 

 「フォレスト・シティへの外国人投資を禁止する。不動産投資移民にはヴィザを発給しない。

 

われわれは外国の植民地ではない」とした。

 

中国人の投資家にとっては無駄な投資となる怖れが高まった。「あそこは、その名前の通り猿やオランウータンの楽園にすれば良い」とマハティールは訴えた。

 

 

 マハティールのいう投資家ヴィザとは、「十年間マルチ」という特権的な待遇を保証したもので、外国人が第二ハウスとしてマレーシアで物件を購入すれば機械的に与えられた。

 

 デベロッパーの「カウンティガーデン」社(碧佳園)はすでにマレーシアでいくつかの巨大プロジェクトを成し遂げており、従業員7万人、売上高200億ドルをこえる。

 

 マハティール首相の老練さ、中国を正面から批判せず、国内の劣悪な財政環境と前政権に責任を転嫁して、まずは中国との交易の拡大はお互いの利益のために発展させるとポーズをとった。

 

 

 

 

 ▲マレーシアのナショナリズム再燃

 これはトランプ流のナショナリズムへの回帰、すなわち「マレーシア・ファースト」である。

 

マレーシアはマレー人が主流だが、華僑人口が35%、インド系が10%。複雑な民族構成がそのまま政治に絡み、マハティール政権は磐石とは言えないのである。

 

 

 

 この衝撃は将棋倒し現象をうんだ。パキスタンでもイムラン・カーン新政権が発足し、中国からの借金を見直すとした。

 

グアダール港から新彊ウィグル自治区まで鉄道、ハイウェイ、パイプライン、光ファイバーを敷設し、総工費620億ドル。

 

返済予定90億ドルの見通しはなく、カーン政権はIMFとの交渉に入った。

 

 

 インドの南端からインド洋に散らばるモルディブでも18年九月の大統領選挙で親中派のヤミーンが大敗北を喫し、インドの支援を受けたソリーが政権の座に就いた。

 

とはいえ空港拡張と海上の橋梁工事などで既に13億ドルを中国から借りている。「借金の罠」に陥ったのである。

 

 

 そこで筆者はマレーシアの各地を五泊六日の強行軍でまわった。

 

アラルンプール、ペナン、マラッカと長距離バスと高速鉄道を乗り継いで、現地で仕入れた情報とは、新幹線は全面的中止とはせず、首都近郊をつなぐ工事は残し、習近平の顔を立てた。

 

マハティールはつねに「日本よ、立ち上がれ」と台湾の李登輝総統と同じように日本を鼓舞し続けた。

 

2020年二月、首相の座を降りたが、依然としてマレーシア政界に大きな影響力を持っている。

 

 

 

中国投資がピタリととまったフォレスト・シティは、香港大乱で、逃げ出した香港人が、分譲マンションの相当数を購入し、移り住んできた。

 

 松本清張が作品『熱い絹』の舞台としたキャメロン高原は「マレーシアの軽井沢」。

 

意外と寒冷地で、お茶の産地でもあるが、日本人の年金生活組。

 

およそ100名が住んでいて、マンションだらけだった。

 

偶然はいった食堂で隣にいた初老の夫婦が、そうだった。

 

 「あたり一面茶畑だったのに、いまはぼこぼとと高層マンションが建って、軽井沢的なキャメロン高原ではなくなっています。

 

そろそろ日本に還ろうかと考えているところです」。