★第一章 北京から中国「新幹線乗り尽くし」の旅を始めた  | imaga114のブログ

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宮崎正弘氏の情報ですが、これはアジアの国々の今と紹介の内容です。

毎日のニュースとは少し違いますが、興味深い内容を含むので

振り返って掲載します。

 

第一部     「暴走老人 西へ」(1)

第一章 北京から中国「新幹線乗り尽くし」の旅を始めた 


 ▲大動脈の北京ー上海は四時間四十八分

 2011年、北京ー上海間の新幹線(北京南駅ー上海虹橋)が開通した。中国にとって世界に誇る「夢の超特急」の実現である。

 

 一番乗りの切符を何時売り出すのか、二ヶ月も前から北京と上海では鉄道マニアに熱気が迸っていた。

 

 2011年5月11日に実験的な試走の結果、最高時速380キロ。北京南駅を九時二十分に出発した一番列車のCRH380型「和諧号」は予定通り午後二時八分、上海虹橋駅に到着した。

 

1318キロを四時間四十八分。平均時速275キロである。

 

 従来線だと寝台特急でも北京南ー上海虹橋間は九時間四十九分かかった(一等寝台は977元)。だから五時間もの短縮になる。

 

 米国で言えばニューヨークからアトランタ。

 

米国アムトラックの特急便で十八時間かかる。日本の新幹線にあてはめると東京から熊本の距離、ちなみに東京ー熊本の最短は「のぞみ」を博多で「さくら」に乗り換えて五時間五十一分かかる(所要時間は2011年時点のデータの基づく)。

 

 中国の「新幹線」の定義となると曖昧で、時速250キロから350キロのAクラス。

 

 200ー250キロのBクラスに別れる。いずれも新幹線とは呼ばず「高速鉄道」である。

 

 

 当時、中国政府は「2020年には高速鉄道が主要な五十万人都市の90%を連結する」と宣言していたが、2020年5月現在、営業キロはじつに二万五千キロを突破し、日本の八倍強である!

 

 

 その昔、田中角栄が日本列島いたるところに新幹線をつなぎ、市電のようにすると豪語した頃、日本のバブル経済はまだ上昇カーブを描いていた。

 

その後、整備新幹線は遅れたが、東京ー長野をむすぶ新幹線は金澤まで延び、現在は敦賀まで工事中。

 

北海道新幹線も2020年時点で新青森から新函館を繋いだ。

 

 

 

 ▲乗ってみなければ何も語れないではないか

 ともかく試乗に行った。

 

 北京─上海間の新幹線、中国では「京滬高速鉄道」と呼称される。

 

 日本の東北新幹線グランクラスのように特等車が設けられ、リクライニングは寝台にもなるシロモノ。

 

ただし、このクラスに乗ると往復3500元(邦貨四万五千五百円)もかかる。往路だけ、この豪勢な車両の旅を試みた。

 

週刊誌に原稿を頼まれていたので張り込んだのだ。(結局、この試乗記は『週刊現代』と『WILL』に書いた。

 

 北京南駅を出発し、天津の西側を抜け、河北省、山東省、安徽省から江蘇省の南京を経て最終の上海市まで途中駅は23.

 

これで「環渤海地域」と「長江デルタ地域」の二大経済圏が連結した

(「CRH」とはCHINA RAILWAY HIGH SPEEDの略で、すべて「和諧号」と呼ばれる。「380」は時速380キロを意味している)。

 

 

 通常編成は二等車両が10両、座席数838席。

 

一等車は4両、座席数162席。

 

くわえて24席の「ビジネスクラス」(日本のグランクラス)が1両、食堂車が1両、合計16両編成となる。

これが北京ー上海間を一日90往復する。

 

 新幹線のVIPは時速300キロメートルで走る「G」ナンバー列車の一等席以上の座席(ビジネスクラス席、観光シート席、一等ボックス席を含む)を利用する乗客を指す。

 

 北京南駅から上海駅まで一等席の料金は935元、ビジネスクラス席が1750元。

 

二等は555元。飛行機の格安チケットは550元前後だから新幹線がいかに高いか。

 

 

 VIP乗客に提供される特別サービスはなかなかのものがある。

 

ず駅では一等席以上の座席を取り扱う専用窓口がある。

 

待合室に専用席もしつらえ、列車を待つ間にはカウンターから飲み物や軽食をセルフサービスで摂取できる。

 

新聞の閲覧、無料のインターネット接続、荷物の無料搬送といったサービスがある(一部有料)。

 

列車内では毛布、クッション、アイマスク、タオル、スリッパ、靴収納袋、ヘッドフォンなどの備品があり、飲み物、朝食、昼食、夕食、スナック、新聞が無料で提供される。

 

備品の料金基準は18元、使い捨てスリッパ、アイマスク、ヘッドホン、タオルが含まれる。

 

 

 中国新幹線はほとんどが「和諧号」と命名された。

 

 なだらかな流線型の車体は華麗であり、なんとなくわが東北新幹線の「はやぶさ」に酷似している。

 

 鳴り物入りで喧伝され、初日の式典には温家宝首相(当時)が列席し隣の駅まで試乗した。

 

上海まで二十四の駅が新設された。ただし新駅はどの都市でも市内へは遠い。

 

新横浜から横浜の中心街へ行くアクセスを連想するとよいが、あの二倍から三倍の距離がある。

 

 


 ▲笑顔は満点、弁当は最悪

 美人の乗務員がにこにこ笑いながら運んできたのはおしぼり(紙タオル)、スリッパ(飛行機のビジネスクラスと同等)、スナック(安物)、弁当も無料とはいえ、食事メニューは選べない。

 

味は最悪。とても高級車両で配るモノではない。

 

ご飯のうえに豚肉だけ。

 

ビールは一種類しかない

(前鉄道部長の劉志軍の汚職で賄賂を業者に要求し、とくにビール業者、ミネラルウォーター業者とも結託していたために手抜きとなった)

 

 

 時間比較では飛行機に軍配があがる。

 

 北京の市内から飛行場まで平均で一時間かかる。空港での待ち時間と飛行時間で二時間半。

 

上海空港で荷物待ち三十分、それから市内まで一時間。

 

合計すると五時間である。宣伝通りだと新幹線が五時間弱だから時間競争で言えば、新幹線が速いことになる?

 

 実態は異なった。東海道新幹線の「のぞみ」「ひかり」「こだま」と三つに分けて考えてみると分かりやすい。

 

 

 中国新幹線「のぞみ」型は四時間48分の超特急だが、これ、じつは一日に二本しかない。筆者が乗った和解号は「ひかり」型で、途中駅の済南、徐州、南京などに停車する。

 

だから上海まで五時間半かかった。各駅停車「こだま」型の和解号に乗ると六時間以上かかる。

 

 直後に「事故」が起きた。2012年7月23日の温州での新幹線事故直後から時速を50キロ減速した。その上、列車本数を25%削減した。

 

 

 

 ▲切符と買うのに一苦労だった

 中国の新幹線は次のような問題点がある。

 

 

 第一に中国新幹線の目玉である北京─上海は工期を2年も短縮、驚くほどのスピードで完成したため安全の側面から将来の事故がまだ懸念されることだ。

 

開業から4日間だけでも3回、エンジンのトラブル、原因不明の煙、豪雨による立往生による大幅な遅延があった。

 

 

 測量しながら、設計しながら、工事をおこなうという「三ながら主義」は全体主義独裁でないと出来ない芸当である。

 

そもそも日本のように用地買収の手間がかからず、これだけでも工期を数年短縮できたのだ。

 

第二に駅舎やインフラが同時並行的に工事されていない。

 

新幹線は開業しても駅舎の工事はまだ普請中、駅前広場はこれからいう場所が上海近郊の駅に目立つ。

 

外交、軍事、政治の総合的整合性を欠く中国を象徴するかのようである。

第三に途中駅すべてが新駅だが、旧市内とのアクセスが極端に悪い

 

たとえば西安新駅、武漢新駅、広州南駅、重慶北駅、福州南駅など旧市内へバスで1時間かかる。

 

乗客はこのことも頭に入れて旅行計画を立てなければいけない。

 

おまけに北京の出発駅にしても北京北駅、同南駅、同西駅はそれぞれが新築。

 

こちらも市内のホテルからタクシーを飛ばして1時間近くかかる。

 

 

 第四にサービスが不便で外国人観光客の評判が悪い。

 

たとえば駅のセキュリティ・チェックに20分を費やす上、外国人はパスポートがないと切符も買えない。

 

また待合室からプラットフォームにかけてキオスクがない。

 

時刻表を売っていない。駅員はつっけんどんである。

 

 だから開業から三ヶ月経っても北京─上海間の乗客は2割か3割しかなかった。

 

一等車両はガラ空きだった。

 

 

 なにはともあれ、北京ー上海間の新幹線に乗るために北京の定宿に二泊した。理由は、その時点で新幹線は人気沸騰、二日後にしかチケットは取れないというのが事前の噂だったからだ。

 

外国人はパスポート提示でしかチケットは購入できないため日本から中国の代理店に予約出来ないシステムだった。

 

最初に宿に近い建国門外の切符売り場に行くと、「パスポート読み取り器械がないので北京駅へ行け」と言われた。

 

北京駅で新幹線切符専用窓口を探し、三十分並んで、やっとこさ翌々日のチケットを購入した。

 

 翌日は情報通と会う予定だったが、電話すると急用でふさがったという。そこで友人と北京ダックをたべに全聚徳へ行った。

 

行列一時間。超満員である。

 

市内ではタクシーがつかまらない。行きも帰りもすし詰めの地下鉄。

 

なぜ景気が良いのか、不思議だった

 

 

 不動産価格は下降に転じており、株式は低迷のまま。しかも北京のホテルはつくりすぎて何処もダンピングの最中というのに、北京の市民は景気がよさそうだ。

 

 昼は前門も王府井も見飽きたので、新名所の后海へ行った。

 

中南海につながる人工湖、その周辺に風情あるレストランとバアがぎっしり、デートコースでもあるが、外国人がとくに喜びそうなアミューズメント・センターの趣がある。

 

人力車が走っている。レトロなおみやげが並び、写真屋がいる。

 

この町野外れで「文豪」といわれた郭末若の旧居が「文学館」となっていて、一見の価値がある。郭が激動期をいかに狡猾に世渡り出来たか、贅沢な暮らしが出来たかの謎が、ここの展示を見ると解けたような気がした。

 

 

 

 ▲旅はいつも「早朝特急」から始まった

 試乗日は早起きして午前七時には食事を済ませ、タクシーに荷物を積んだ。早朝だとタクシーはつかまる。

 だから小生の旅はいつも「早朝特急」から始まる。

 

北京南駅まで四十分で到着したので構内の上島珈琲でコーヒー、嗚呼、まずくて高い。

 

 上海までの新幹線は左右見慣れた風景が連続し、「これっ!」という新景色はない。

 

窓の外をスケッチしながら時折、電光掲示板を見入る。北京から上海まで300~310キロを維持して見せた。

 

 

 グランクラスの乗客は企業幹部のようで(といっても二十四人定員に八人しか乗っていないが)、なんとなくムードも贅沢になれた人たち。

 

携帯電話もせわしなくない。

 

悠揚迫らぬ態度で新聞を読んでいたり、列車が停車するとプラットフォームに降りて煙草を嗜んだりしている。

 

 

 途中、やることがなくなったので座席をベッドにして昼寝を試みた

 

上海虹橋駅に予定通り一分の遅れもなく到着。

 

ただし、この駅から宿舎のホテルへタクシーで一時間かかった。

 

高速道路が渋滞表示、下の一般道へ降りたのが失敗だった。
 

 

 上海では産経新聞の河崎真澄・上海支局長(当時)と夕食の約束。

 

シャワーを浴びただけで約束の時間となりロビィで一年ぶりの面談。蒋介石の幹部だったという有力者の屋敷跡が瀟洒なレストランに改造されたというので、そこへ行くことにした。

 

 

 すばらしい庭、丹誠込めて作った形跡がありありとしている。ボーイ、ウェイトレスも洗練されている。往年の上海租界の再現か、という雰囲気である。

 

料理もなかなか、紹興酒も上等なものをそろえていた。値段を心配したが、定宿のレストランの半値で済んだ。

 

 

 こういう穴場が上海にたくさん開店しており、上海に中国人の知り合いが居ないとなかなか情報が入らない。

 

『地球の歩き方』の情報は一、二年遅れである。

 

 外国人に人気のある田子坊(浅草と表参道を混交したような観光スポット)にも行ったが、最近どうやら日本のガイドブックで紹介があったらしく上海の街では見かけなかった日本の女性ツアーがやけに目立った。