明日から「令和」
私は昭和生まれだから
これで元号3代か
勿論戦後生まれです・・・よ
平成は
ハナから不景気の嵐だった
1989年1/8から今日2019年4/30まで
私事では子育て真っ最中だった
だから当時のことを思い出しても
自分のことでいっぱいいっぱい
時代の流行や世界状況など
頓着していない
しかし
ベルリンの壁崩壊
ソ連崩壊
湾岸戦争
次々にあり得ない事件が勃発
そこは覚えている
しかし
1995年は忘れることはない!
阪神淡路大地震からはじまったのだ
(横浜にいたので直接経験はしていない)
阪神淡路大地震がある一週間前あたりからだった
突然天井が回りだし
目を閉じても回る
だからまっすぐ歩くことができない
(まるで地震のように)
吐き気もあり気分最悪!
家族をもって初めてキッチンに立てなかった
まだ小さかった長男が卵焼きを作ってくれた記憶がある
本人は覚えているのかな
ということで主人に頼んで
嫌な病院に連れて行ってもらった
そしたら
更年期!
症状以外検査では異常がなかったからだ
そこからだ
異常な1995年のはじまり
部屋を暗くして布団に寝るしかない私
何処にも出れないから
TVをつけていた
すぐにあの地震があった
来る日も来る日も
あの悲惨な光景が垂れ流される
なぜ助けることができなかったのか
それが必然のように
地獄絵図がTVから
サリン事件
(ちょうど子供の卒業式当日だった)
携帯もないので帰るまで知らなかった
身内が巻き込まれてそのことは
なんと、スペインにいる妹から知らされたのだ
「TVに映っているよ!」
大騒ぎの当日
子供の卒業式に行っていた主人は
(当時丸の内に勤めていたため)
心配した親戚や会社からの電話に出ることができず
いわゆる
行方不明状態になっていたのだ
携帯がないと
とんでもない事件に発展するんですね
私の体調はまだまだだったが
あの不思議なめまいはなくなっていた
そして
秋に転勤
東海道新幹線の柱が倒れて不通だったが
10月には開通していたので新幹線で移動できた