なんだか午前中は世界が終わるんじゃないかΣ('◉⌓◉’)
って心配になる天気でしたよー…
「狐の嫁入り」
って皆さん知ってますか?
一般的には「お天気雨」とか言いますね。
晴れているのに、なぜか雨が降っている。そんな天気のことを言います。
お天気雨は 雨雲から雨が地上に落ちるまでの間に、上空の風が強い為、素の雨雲がどこか彼方まで吹き飛ばされてすでに存在しないことで起きる現象なんだそうです。(諸説あり)
そんなお天気雨を私は小学校低学年の頃から「狐の嫁入り」と呼ぶようになりました。
その理由。
その頃に読んだ物語が要因となっています。
それが本だったのか、教科書だったのか、紙芝居だったのか、、、正直覚えていませんが、ソレを「読んだ」ことは覚えているのです。
『雨が降らなかった村は空の神様に生贄を捧げることに。その生贄のために狐の娘を騙して村人の嫁にすると連れてくるのです。騙された狐は娘を嫁入りさせます。村へ連れてくる間村人と狐の娘はたくさんお話をして、恋に落ちてしまいました。村人は狐の娘にコレは罠だからと逃げるよう促しますが、狐の娘は逃げません。自分も自分を騙した村人を好いていたから。自分を連れて帰らなかったら村人はきっと代わりに生贄にされてしまうでしょう。狐の娘は罠とわかっていても、村人と最後まで離れることはありませんでした。村へ着いた狐の娘は生贄にされ、それを救えなかった村人は泣き苦しみます。そしてその涙を隠すように、晴れた空から涙のような雨が降り注いだのでした。』
正確ではないです。
こんなようなお話だったはず。
私はこのお話を読んで泣いてしまったのは覚えています。恋なんてまだ全く理解できない年頃だったはずなのに、私は涙を流したのです。
子どもの頃はとても感受性豊かで、見たもの、聞いたもの、触れたもの、全てが新鮮でした。きっとその時泣いたのも、村人の気持ちになって聞いていたからでしょう。
今はどうでしょう?
今は物語を読んでいても、背景が気になって子どもの頃のように素直には感じ取れなくなった気がします。
例えば、ドラマや映画を見ればカメラワークや役者さんの演技が気になります。アニメを見れば下手くそな声優さんの声が気になって物語に集中できません。小説や漫画だと言葉の間違いや誤変換が気になり、絵本は最近の伝える意味のない絵本などにガッカリします…
私の人生での経験がこれらに影響を与えているのは確かです。
気にしない人は気にしないでしょう。
私は気にする性格だったのです。
叶うのならば、子どもの頃の感性で今のこの世の中に出ている物語を手にして見たいものですね(*´◒`*)
そうしたらまた新しい世界が開けそうですヽ(´▽`)/
Danke.