おはようございます。
今田唯仁(いまだただひと)です。

 

人という字は互いに支えあってヒトとなる。

-金八先生-

 

当たり前すぎて笑っちゃうかもしれませんが、
すごく思い出すんですよね。

 

(人)ではなく、(11)な数字的な感じ
数字って、冷たさを感じますよね。

 

なぜ、今、スポーツの世界で、
また、日本の教育現場で人間力の育成と言われているんでしょうか?

 

結論:
文明進歩に依存したことにより、社会バランスが崩れているから。

つまり、このままじゃ、様々な見識者が未来予想をした中、
マズイことになるという未来からのシグナルだと思います。

 

 

人間力とは?

シンプルにいうと、人の総合的バランス力です。
人の顔はバランスがとれてる顔ほど、
美しいと言われるソレと同じです。

口だけが異常に大きい、口裂けお化けを、
かわいい〜とは心の底から思えません。

 

 

力で表すと、
知的能力、社会・対人関係構築能力、自己制御力
3つに分けられます。

 

個のもつ本能的欲求をコントロールし、
生きるための智慧を使い、
人と協力しあう力と言えます。

 

 

 

現在のスポーツ界や社会情勢を見る

プロのアスリートたちの選手生命は、比較的短い。
FORBESによれば、
プロアメリカンフットボールリーグ、
NFLの労働組合であるNFL選手会によれば、
大リーグの選手が平均6年、サッカーは4年以下だという。

 

現役の間にできるだけ稼ぎたいとしても、
そのチャンスは限られているということ。

 

また、アメリカのアスリートは、この現状に対して、
理解が進んでおり、一つの通過点という感覚があるといいます。

だから、セカンドキャリアのことも踏まえ、
若い時から、準備をしているのだそうです。

 

 

 

日本のスポーツ界で、人間力が必要だと叫ばれるのは、
この部分の背景があると思っています。

 

ジュニア世代から
日本のエリート教育をうけたトップアスリートは、
一般社会との触れ合いを早くから離れ、
専門競技にどっぷりつかる教育環境が多くです。

 

それは、支援者の一時の勝利のために
システム化されているような気さえします。

 

一般社会との触れ合いを早くから離れるという
部分が肝です。

重要な年代で、
養うべき「コミュニケーション力」がつかない
ということです。

 

体育祭とか文化祭とか、
友だちと力を合わせて積み上げる、
あの過程は、体験でしか学べません。

 

 

 

 

社会情勢も然りです。
インターネットの普及、携帯の普及により、
効率化は飛躍的にすすみましたが、
コミュニケーションが簡素化しました。

 

SNSの普及は、
コミュニケーションの分断化も加速。
共感あるコミュニティが強くなる反面、
共感できな人とのコミュニケーションの
機会がなくなったということです。

 

 

 

 

情報社会だけではありません。
土葬から火葬、墓から納骨堂。
ぽったん便所から推薦便所。
ゲームの世界では、バーチャルとはいえ、
殺戮に快を得る時代になりました。

 

つまり、「死生観」ですら、
文明進歩とともに、変化しています。

 

死生観が変わったことで、
つながりの力が、
とても薄くなったように強く感じます。

 

 

 

住宅環境や家庭環境でもいえます。
マンション化やアパート化がすすみ、
近隣のコミュニケーションはなくなりました。
また、家庭内も共働きは当たり前、
核家族化もすすみました。
藤原先生のいうように、
「斜めの関係」が、見えなくなりました。

 

 

「自己制御力」においても、
企業戦略により、コンフォートを煽られ、
壊されていきます。
全ては、お互いの一時の利益のために。

利害一致なので、加速します。

 

 

それらの時代をみて、

バランスが崩れている

これからの時代を予測して、

そのバランスはもっと崩れる。
危険!!!

 

見識者たちが、そんな見解から、
「人間力」という価値観の重要性を
再度訴えているのだと思います。

 

(本日の問い)
あなたが、未来や人のために、どんなことが出来ますか?

 

 

 

私も当然、上記で述べたように同じく感じます。
だからこそ、
人間力の向上を前提としたコーチに
ブレはないのです。

 

 

 

 

 

 

私の大好きな科学者アインシュタインの言葉を最後にご紹介します。

原子力は人間の手に負えなくなる

-アルベルト・アインシュタイン理論物理学者)-

 

 

 

 

今日も大きな声でありがとう。
今田 唯仁