父が私が1才のとき離婚し再婚した人は大嫌いでずーっとおばあちゃんと暮らしていた。明治産まれのお洒落で気丈な大好きなおばあちゃん💕 1度も昔の苦労話はした事がなかったが ある日もと夫が 東京大空襲では相当被害うけた場所に住んでいましたね て いった時 あーあんな事は絶対にあったらダメだよ こどもが10人いて警報とともに上の子が下の子おんぶして 急いで近くの小学校の体育館ににげたら もーいっぱいで入れない つかさず線路の反対側の体育館に なんとか入れた。爆音が響く中 朝を迎え すまいにもどろうとした時 赤い山のようなものがあちこちに。そこを通った時 それがやけただれた人の山だったと。水を下さい と言われてもただ無我夢中で地獄絵図の中家路についたら 家は跡形もなかったと。それからバラックの小屋を建て 田舎からお酒を送ってもらい 相撲部屋にいきお米とこうかんしながらしのいだと。当時は結核は治る病ではなく子供4人亡くしたと。絶対にダメ 戦争なんてダメ と それから色んな商売をして 子供6人大学まで行かせた。大学まではいかせるけど後は自分で生きて行きなさいと。1人だけ優秀なおじがいて 狭い中押入れで勉強して 高校の先生には◯君は 余裕しゃくしゃくと遊んでいますよ なんていわれながらも 東京大学に合格した。それはいつも自慢していた。おじになんで余裕しゃくしゃくで東京大学いけるの?てきいたら 家計の事考えたら頑張るしかないから いやいやうるさい中押入れで勉強したんだよ て よく私が小さい頃 一緒に押入れに入って落書きして遊んだ 押入れ好きなのかも。戦争体験したおばあちゃんの平和が一番。その言葉忘れない。