「部内者犯罪」
机と椅子しかない一室で私は二人の監察官と向かい合って座っていた。
部屋の窓から青い空が見えた。小さな白い雲がゆっくりと流れて行く。
私はそれを遠い世界のものの様に、ぼんやりと見ていた。
「あなたの郵便局の金庫から三百万円の現金が無くなっています。我々が調査した結果、誰かが持ち出したものと思われます。容疑者としてあなたに任意で来て頂いた。心当たりはありますか」
若い監察官の眼が、容疑者の表情の変化を見逃すまいと私を見つめていた。
懲戒免職、犯罪者、一家離散、そんな言葉が頭の中を駆け巡った。
手脚が震え始めた。
ここまで来て、今さら白を切って逃れられるとは到底思えなかった。
「私がやりました」
「フー・・・」
年嵩の監察官が大きなため息をついた。年齢は私と大して違わないだろうと思われた。
「どうしてこんな馬鹿な事を。昨日の夜、貴方の局の高瀬課長から通報があったんですよ。罪を犯せばどうなるか、それぐらい貴方にだって分かっているでしょう」
彼が哀しい眼で私を見つめてきた。
平素、戸締りをして局を最後に出るのは私だっだ
しかし、昨日の夜は、高瀬課長が「やり残している仕事があるので局長は先に帰ってもらって結構です。戸締りは私がやっておきます」と言って来た為、 私が先に局を出た。
私が郵便局の現金に手を出したのは約一年前だった。
局長になっていた。三0年近く勤め、ようやく掴んだ役職だった。
縦と横の付き合いが予想以上に広がった。
それに金がついて回った。妻から貰う小遣いでは到底足りなくなった。高級クラブで飲むことも多くなり女も出来た。
「局長、局長」と他人から呼ばれ、見栄を張らざる負えなくなった。
しかし、金はなかった。直ぐに返すつもりで局の金庫の金に手を付けた。
初めのうちは二~三週間で返していた。しかし、それも続かなくなった。
監察官や他局の局長が突発に行う現金検査で発覚することもなかった。百万円の束は封を解き全て枚数を調べられるが、日銀パックと呼ばれる一千万円の大束は、梱包された封に異常がないかを見られるだけだった。私は細心の注意を払って日銀パックの封を解き三束抜き取り代わりに模擬紙幣を入れておいたのだった。それが約半年前のことだ。模擬紙幣は貯金担当者の訓練用に使っていた物だ。
家に金がない訳ではなかった。子供の教育費にと、妻が貯蓄しているのは知っていた。
ただ私の自由になる金ではなかったと言う事だ。
局の現金は「現金出納責任者」と呼ばれる課長が管理していた。それでも最高責任者は局長なのだ。私が金庫室に出入りするのは自由なのだった。
「この日銀パックは予備の金だ。どうしても現金の調達が困難な時の為に取って置いてくれ」
高瀬課長にはそのように言い含めていた。そして半年間、私の犯罪が発覚することはなかったのだ。
大地震でも来ない限り“どうしても現金の調達が困難な時”が来るはずもなかった。
その日、私は家に帰されることはなかった。
監察室の一室に案内された。ベッドが一つあるだけの殺風景な部屋だった。
どうして発覚したのか。高瀬課長の顔が浮かんだ。
私と同年齢で仕事が出来た。局長昇任試験も同じ時期に受けた。筆記試験は合格したが面接で彼は落ちた。仕事は私より出来たが人付き合いが上手い方ではなかった。
私の良きライバルだった彼が、今は忠実な部下だった。
その彼が、どうして金庫の日銀パックの中身を見ることになったのか。封の異常に気がついたのか。
私は細心の注意を払っていた。だから、半年間も発覚しなかったのだ。
一ヵ月後、私の懲戒免職処分が決定した。
妻とは離婚した。家の名義を彼女に替え、住み慣れた街を出た。風のたよりで、高瀬課長が、私の後任の局長になったと知った。
彼には三人の子供がいた。上の二人は大学生で、一番下が高校三年生だった。お金が一番入用の時期だった。
彼は、偶然、封の異状に気付いた訳ではなく、何か理由があり、日銀パックの札束を開けよとしたのではないのか。そして私の犯行を偶然発見し監察室に通報したのだ。
彼もこれから「局長、局長」を他人から呼ばれ、今以上に金も要るようになるだろう。
彼が私と同じ道を辿る日がそう遠くないような気がした。
「うろこ雲」
目印が水面をゆっくりと上流に走っていく。鮎の食み跡の残る沈み石。
目印が震えた。同時に、竿を持つ手元にガツンと衝撃が走る。
竿を立てた。友鮎が水面に浮かんでくるまでは竿の弾力を利用する。野鮎が下流に走った。竿が伸されないよう踏ん張る。引き寄せる。友鮎が水面に浮かんだ。
竿を90度に立てた。引き抜き。左手で腰のベルトからタモを抜き構える。二匹の鮎が手元に飛んで来た。タモでキャッチする。手早く元気のいい野鮎を友鮎にして川中へ送り出す。
腕時計を見ると10時を少し過ぎていた。川原に竿を出してから三時間が経っていた。タバコに火をつけた。一時間前まで入れ掛かりだった。50匹は浮き舟に入っているだろう。今はポツリポツリと言ったところだ。大石に腰掛ける。雲ひとつない青空だ。高くなった太陽が容赦なく照り付けている。事務室で一日中篭っている仕事だ。6月初めの鮎の解禁から一ヶ月半で4度目の釣行だが、私の顔と二の腕は真っ黒になっていた。朝早くから夕方5時頃まで一日中、川原に立っていれば誰でもそうなる。
「熱中症で倒れないでよ」
それが妻や三人の子供達の口癖だ。ベルトに付けたペットボトルのお茶を一口飲みタバコの煙をゆっくりと吸う。車のクーラーボックスには昼の弁当とお茶のペットボトルが3本入っている。夕方まで時間はたっぷりある。シーズンオフは他の釣りもやる。それでも私にとって釣りと言えばこの友釣りだった。照りつける太陽。夏が実感できた。
「その場所、退いてくれるか」
後ろから声がした。足音には気づかなかった。聞こえていたのは野鳥の鳴き声と、川原のせせらぎだけだった。
私は振り向き、石に腰かけたまま男を見上げた。
「社長がここで釣りたいって言ってるもんでね」
派手なアロハシャツを着た二人の男。まだ若い。どちらも20代だろう。その後ろに赤いTシャツの上にヒィッシングベスト、下はウエットタイツを着た男が立っていた。
サングラスをかけているため、表情が見えない。歳は私と同じぐらいだろう。40過ぎか。
「あと六時間も待てば私はここを退く」
ゆっくり立ち上がる。
「今言ったのが聞こえなかったのか。社長がこの場所で釣りたいと言ってる。あんたは他を探すんだよ」
「ここは一級ポイントでね。日曜釣師にとっては、やっと手に入れた場所だ。そう簡単には移れない。あんたらが他を探ばいい。後から来たんだ。釣り人のマナーってもんだよ、それが。社長にそう言っておいてくれ」
若い男が少し動いた。と思った瞬間、私は川原に倒れていた。ペットボトルとタバコは何処かに吹っ飛んでいったようだ。続けさまに蹴りが来た。アロハシャツ二人に蹴り続けられた。後ろで男が一人立っていた。社長と呼ばれている男なのだろう。気を失いかけた時、私は水中の石を手に握り込んだ。遠くで男の叫び声を聞いたような気がした。
気が付くと草むらにうつ伏せで倒れていた。川原から少し離れたところだった。腕時計を見て一時間近く経ったことを知った。釣っていた場所から300メートル程のところだ。釣り場には違う釣り人が立っていた。あの男達は場所を変えたのだろう。思った程には釣れなくて場所を替えたのだろう。
ゆっくりと立ち上がった。痛みは走るが体は壊れていない。釣り場まで戻った。
竿が折られていた。浮舟を上げた。鮎は入っていた。釣り人が不思議そうに私を見ている。私がニッコリ笑うと、釣り人は、あわてて目をそむけた。浮舟を持って車まで戻った。エンジンをかけ、冷房を入れる。運転席で弁当を平らげた。醤油が唇にしみた。鮎をクーラーボックスに移す。氷を取り出しナイロン袋に入れた。ルーム・ミラーに映った私の顔は酷いものだった。運転席のシートを倒し、氷を唇に当てた。夕方まで私はただ、じっとそうしていた。
あれ以後、わたしは、釣の合い間に男達を探し続けた。手掛かりは何もない。川原で探すしかないのだ。
9月も終わりに近づいた日曜、いつもの様に私は朝早くから川原に行き、夕方近くまで友釣りをしていた。もうすぐ鮎のシーズンも終わりだ。この夏中に、あの男たちを探し出す事は無理かも知れないと思い始めていた頃だった。納竿し帰ろうとしていた時、男たちを見つけた。白いベンツに乗り込んでいた。私には気が付いていない。人一人を殴り倒す事にそれほどの意味も感じていないのだろう。ベンツが国道に出た。ぴったりと後に付く。神戸ナンバー。高速道に入った。ベンツは神戸の繁華街の中にあるビルの駐車場に入った。
「青空興業」
私は呟いた。
次の日曜、私は川原の見える道をゆっくりと車で走った。
釣り人の間では一級ポイントとして有名な場所で車を止めた。ベンツが止まっている。川原に下りて行く。
「この場所で釣りがしたいんですが、他へ行ってくれませんか」
男が振り向いた。社長と呼ばれていた男だ。不思議そうに私を見ている。
「嫌なら力尽くでもやりますよ。」
復讐 完結
(前回までのあらすじ)
たった一人の理解者であった姉を自殺に追いやったヤクザの浜崎に復讐を決意した「俺」は、隙をみてヤツの車に乗り込む事が出来た。
「完結」
テールランプが二度点滅した。ドアロックが解除された。浜崎が車に乗り込んだ。 飛び出した。後部座席に乗り込む。
「待ってましたよ」
「誰だ、お前は」
「聞いてどうしようてんですか」
「俺が誰だか分かってるのか」
「もちろんです。あなただからやってる」
「恨みを買うことは日常的にやってる。小僧一人が乗り込んで着たぐらいで驚き はしないが」
「なら、それで納得すればいい。覚悟も出来てるって事だ。」
ベルトに差し込んだナイフを抜き浜崎の首に当てた。
「この道をまっすぐ行ってもらいます」
「いやだね」
「死に急ぐこともないでしょう」
「行けばどうなる」
「死ぬまでに多少の時間はあるってことです」
「おまえ、ただで済むと思っているのか」
「そんな心配は要りませんよ」
車は三十分近く道なりに走った。
「そこを右に入ってください」
しばらく行くと山小屋が見えた。ハンドルを持つ浜崎の背広の内ポケットに右手を 差し入れた。
「ヤクザってやっぱりこういう物を持ってるもんなんだ」
取り出した拳銃を、窓を開け外に捨てた。
「おまえ・・・。お前だけじゃなく家族も生きてられなくなる。良いのか」
浜崎が吼えた。
「殺しのプロはただ黙って人を殺る。そんなものだと思っていますよ」
「俺を甘く見るなよ」
「あなたは、もう俺の家族を既に一人殺してるんですよ。それだけで充分でしょう」
運転する浜崎の横顔を思い切り左の正拳で打った。車が林道から逸れて止まった。
浜崎が後部に体を乗り出し掴みかかろうとした。顎に右の肘内を入れた。脳ミソが揺れたのだろう。浜崎が後ろにのけ反りフロントガラスに頭をぶつける様にして倒れた。その隙に助手席に移動した。
学校のクラブ活動をする気にはなれなかった。友情と言う言葉が白々しく思えた。学校の授業が終われば空手道場に通った。直接打撃制の道場でフルコンタクトと呼ばれていた。2年半で初段を取った。
強くなりたいとは思わなかった。得体の知れない欲求を発散させ為だった。
「俺に勝てると思っているのか」
浜崎が俯きながら横目でにらみ返してきた。ベルトに刺した登山ナイフを浜崎の左腿に突き立てた。
「グワッ」浜崎が野鳥の様な叫び声をあげた。
「俺をどうしようってんだ」
「さっきまで俺の家族の心配をしてくれていたのに、ナイフで刺された途端に自分が心配になってきたんですか。あなたがどうなるかは、もう決めてある。あなたには何かを言う権利も状況でもないのは分かっているでしょう」
浜崎の額に汗が浮かんでいた。
「車を降りて、そこの山小屋に入ってもらいます」
ナイフを抜き浜崎の上着で血を拭き取りベルトの鞘に戻した。ズボンの腿の部分に赤黒い染みが広がっていった。助手席から降り運転席のドアを開けた。
「降りましょう」
浜崎が脚を庇いながらにらみ上げてきた。
もう、何もしゃべらない。ケリをつける。
浜崎が左脚を庇いながら車の外に出た。
キーを抜き取り上着のポケットに入れた。帰りの運転は俺がやることになる。もっとも免許はなかった。
時々、夜中に親父の車でこっそりとドライブに出かけた。風を受けながら走っていると、自分が自由を掴んだ気になれた。何処へでもいける。そんな気分になれるのだった。
山小屋の扉を開けて浜崎を目で促した。左足を引きずりながら浜崎が先に入った。
小屋の中には人が出入りしている気配はなかった。
板塀に鎌や鍬が立てかけてあるが埃を被っている。床はなく土間の真ん中にドラム缶で作ったストーブがありその周りに丸太の椅子が3個並んでいた。
ベルトからナイフを抜き後ろから浜崎の右太腿を刺した。
「ウッ」と呻いて土間に倒れこんだ。
これで逃げる心配もなくなった。
「殺そうってのか、俺を」
それ以外に、ここに連れてきた理由はなかった。俺は黙っていた。
「おまえ、誰だ」浜崎が探るように俺の顔を見ていた。
「裕子の弟・・・、そうか、思い出した。裕子を家まで送っていったときに何度か会ってるな。どうしてる裕子は。もうそろそろ顔を見せる頃だと思っていたんだ」
そろそろ薬が切れて、会いに来る頃だと云う意味なのだろう。
粘土質の土間の土をナイフで切り取り左手に移した。土間に座り込んだ浜崎を跨ぐようにして、向かい合った。ナイフをいきなり口に差し入れた。浜崎の唇が上下とも縦に切れた。すぐに血が流れ出した。構わずナイフを更に突き入れた。
大きく開いた浜崎の口に土をねじ込んだ。続いて両腕にナイフをつきたてた。
声にならない呻きが聞こえた。
浜崎の目が恐怖に慄いていた。ナイフを土間に突き立てた。
衣服を剥ぎ取った。力任せに引き裂いたといったほうがいいだろう。素っ裸にした浜崎は思ったより筋肉質の体をしていた。一応ヤクザなのだ。それなりに鍛えていたのだろう。
浜崎の目から涙が流れていた。高校生にやられるヤクザ者。力いっぱい顔面に正拳を叩き込んだ。二発三発。それでも恨みは消えない。十発目ぐらいで浜崎は意識を失った。口から赤黒い泥を流していた。
防火のためだろう。小屋の隅のバケツに入れてあった茶色く変色した水を浜崎の顔に叩きつけた。気を失ったまま殺しても恨みは晴れないだろう。いや、どうやったところで恨みは晴れないだろう。それでも、何もしないよりは良い。
浜崎の腫れ上がった目蓋が動き、細い目が開いた。
咽ぶように口から泥を吐いた。血で赤く染まったヨダレが口から垂れていた。
「よしてくれ。俺が悪かった。裕子はいい女だった。客を呼べると思った。別れると言って来た。手放したくなかった。だから、薬で引き止めたんだ。許してくれ」
喘ぐ様な声だった。唇の両端から空気が漏れる為、少し聞き取り難い。
左の手で浜崎の耳を持って引っ張った。耳の上から下へナイフを入れた。許す気はなかった。どんなことがあろうと死んでもらう。浜崎が叫んだ。と言っても、空気が漏れているためか、それ程大きな声にはならなかった。構わず右の耳も切り取った。立ち上がり股間を蹴り上げた。
「もう、よしてくれ」そう言った様だった。
もうすぐ終わる。
浜崎の股間に手を伸ばした。
目が合った。
今度は何をやる気なんだ。そんな怯えた瞳だった。
顔は耳からの出血で真っ赤だった。
男性器を左手に持ち、根元にナイフを当てた。浜崎が全身で震えていた。
弱者に対しては強いが、強者に対しては意地も何も持ち合わせてはいない下司野朗なのだ。そんな男に姉は殺されたのだ。怒りが哀しみになろうとしていた。
ナイフにほんの少し力を込めた。思ったより簡単に男性器は体から放れた。股から血があふれ出た。
手の爪をナイフで一枚一枚剥いでいった。
浜崎にはもう叫ぶ気力もないようだった。ただ、涙だけが溢れていた。
続いて脚の爪も剥いだ。
このままにしておいても死んでゆくだろう。充分、恐怖に苦しんだろう。
左乳首の下辺りにナイフを持っていった。浜崎はもう何も抵抗しようとはしなかった。自分でも死んだも同然だと悟ったのかもしれない。いや、そんな思考力もなくなっているのか。
心臓。一気にナイフを押し込んだ。
浜崎は少し痙攣し、そして動かなくなった。
「他人に非情なら、これぐらいのこともあるっていう覚悟が必要ですよ」
浜崎からの応えはなかった。
ナイフを突き立てたままにして小屋を出た。
東の空が白く輝いていた。
ジャンパーのポケットから車のキーを取り出し、エンジンをかけた。時計を見ると朝の4時30分を少し回ったところだった。告別式には充分間に合う時間だ。
走り出してしばらくしてから窓を開けた。流れる風を感じながら、俺は自由だと思った。
何処へでも行ける。姉に別れを告げた後、何処へ行こうか。
そんなことを考えながら、アクセルを踏み込んだ。
「完」
