ゴリ渼って何?〜人生前半戦〜
こんにちは。ゴリ渼です皆さんいかがお過ごしですか、今日も素敵な1日を過ごされていますか前向きになるための色々な事を書いていきたいのですが、まず私のことをもう少しだけ知ってもらいたいなと思いまして今日は私の事についてざっと書いていきたいと思いますゴリ渼とは〜前半戦〜私は現在海外に住むアラサーのゴリラに顔もガタイもそっくりな女です。色々な事を経てこの野生の大王国、アメリカへと約10年前に流れ着きました。私は某地方都市にて昭和の終わり頃、「そこそこ大家族だね。」と言われる数の兄弟の中に長女としてどこにでもいる普通な女、母ゴリとリアルにこれまたゴリラと魚を足して割らない感じの凄い見た目の父ゴリとの間に産み落とされました。そして思い返せば物心ついた時から家族仲はあまり良いものではなく、今思い起こせばかなりワイルドでした。父ゴリと母ゴリは私が物心ついた時からもう既にものすごく仲が悪く、ほぼ毎晩それはそれはワイルドに熱く時には私たちの目の前でファイトしておりました後から聞いた話だと一番下の末ゴリが産まれる前くらいからもうかなり夫婦仲は冷え切っており、終了する寸前のところを何度も母ゴリが「こんなクズでも子供達には父親が必要」と踏みとどまっていたそうです。実際には母ゴリが超高額の養育費を請求すると脅したため父ゴリが踏み切れなかったようですが。〜始まる家庭内暴力の巻〜それに長男、少し年の離れた兄ゴリのそれはそれは又ものすごい家庭内暴力がゴリ渼が小学校高学年に上がる前位から始まり、それは年々激しさを増し、私たち下の兄弟のミニゴリ達、母ゴリ含めほぼ毎日ボッコボコにされ続け、壁は勿論、家具やらもボッロボロでした。骨を折られたり、意識を失ったり、頭をカチ割られたり、警察にも何度かお世話になりました。学校から帰ってくるのが恐怖で、近くの公園、又野原や山で母ゴリが帰ってくるまで待ってからよく家に帰っていました。ですが、今と違う平成のはじめの方、教師が生徒に手をあげてもまぁギリギリ許されてたかな?くらいのゆる〜い時代。 子供の人権があまり注目されていなかった時代。刃物を振り回して、警察が出てきても「はいはい、兄弟喧嘩ね。」(本当に言われた)で帰ってお行きになられたのです。そして母親も仕事を始めたのがゴリ渼が小学校高学年に上がった時。今までパートだったのがフルタイムになったのです。そしてそこからも兄ゴリの暴力は過激さを増していくのですが、父ゴリは全力フルぶっちぎり以上の120%位で育児放棄していたため、私たちは半分孤児(みなしご)状態になっていたので、特に長期の休み等は母方の親戚に預けられること、Akaたらい回しの刑に処されたことも多々ありました。そこそこ都会出身の母ゴリは、地方のど田舎出身の父ゴリと結婚し嫁いできたため、近くに頼れる親戚も居なく、近くに住む父ゴリの親戚はフルシカトをかましたためですね。みなさん夏休みは海へ行ったり、ハワイへ行ったりと家族で楽しまれるようですが、勿論お休みに家族旅行って何?という感じでしたし、父ゴリが友人たちに「俺いい父親だろ〜!!」というパフォーマンスをする為に趣味に何度か子供達を同行させることはありましたが、(又時間がある時に後述しますが)夏休みは色々と楽しい夏休みというよりかは、「あぁ、夏休みか・・・」という緊張感に包まれることの方が多かった気がします。母親も仕事、仕事、仕事でむしろ仕事をあえて限界まで増やして家にいないように必死だったようです。続きます。