おはこんばんちは もはやいつぶりなのかさっぱりですが
仕事が一段落ついたので、次の仕事の前にちゃちゃっとやっていきましょう。
今日は四次元の時間について軽~く簡略化したものを説明してみようと思います。
次元云々は今更書く必要も無いのでしょうけど、ちょっと意識との兼ね合いを含めた視点で書いてみます。
常々時間は存在しないと書いていますが。
実感ないですよね、実際。
時間を感じるように作られた仕組みの中に入り込んで体験している訳ですから。
昔から三次元までの説明は分かっても、四次元が時間という説明にはイマ一つピンと来なかったのですけれど。
昔、10年以上前になっちゃいますが 時間について夢でメッセージをもらった事がありました。
それは宇宙に浮かぶ地球の方から、ハニカム構造の時間がこちら側に向かって来る、という映像でした。
自分が地球にいて、宇宙から時間がこちらに向かってくる、では無くて。
多分、別次元の地球から時間がこちら側に向かってくる、という感じ。
この夢を見た時、そうか、今を積み重ねて未来がある、未来に向かっている、のではなく、
未来から時間がこちらに流れて来るのだな、と理解していました。
つまり見ていた地球は、未来の地球で、未来の地球から時間がこちらに向かってきている、という訳です。
このメッセージに示唆されていたのは、未来は既に在るという前提でした。
今の積み重ねが未来である、という見方も出来ますが、それだと直線的な捉え方なんですね。
その後、バシャールが言った「運動も宇宙の拡大も幻想です」という言葉を聞いて(たまに拡大する話を出しますけどね、彼。多分視点の位置の違いで表現が変わっちゃうんでしょう)、
既に全てが在るなら、時間が存在しない(運動が存在しない)というのも頷けました。
全てである大いなる意識自体が『今ここ』です。
海に境目が無いように、未来という『今』も過去という『今』も現在という『今』も、境目自体が本当は無い。
一切全てが今ここで、そしてそれが意識そのものです。
その中でピンポイントにフォーカスした一部が、現象の「今ここ」として顕現している、と言えます。
その意識は、私にフォーカスし、あなたにフォーカスし、バシャールにフォーカスし、エイブラハムにフォーカスし、過去の今にフォーカスし、未来の今にフォーカスし、すべてにフォーカスしている訳です。
ですので、あなたに、あなたが見ている世界に、この全てである大いなる意識が、一部の隙も無く、余すことなく今ここに顕現していると言うことが出来る訳です。
もはや一部じゃないじゃん(笑)
上の話をしたのは、流れる時間が存在しているのではなく(運動が存在しない)、すべての『今ここ』が同時に存在しているという前提で下の説明を読んで欲しいからです。
それでは四次元の時間の話に戻しましょう。
下の図はよくある次元の説明の図です。
一次元は線、二次元は平面、漫画が二次元なのはこの平面の中で物語が展開するからですね。
そして立体の三次元。私たちの物質的な部分は三次元の住人です。
この三次元の現実世界を私たちは今こことして体験しています。
では、この三次元の立方体の図↓のどこに時間があるでしょう?
ちょっと分かるようにしてみましょうか↓
ちょっとだけ時間が見えましたかね?
微妙すぎて見えにくい?
線が滲んで見えるのは分かりますでしょうか?
実は微妙に線をズラしているのですが、、、
じゃあもっと分かりやすく思いっきりズラしましょう。
ぐりりーん ←↑→↓
『今ここ』の三次元の立方体に、別の無数の『今ここ』という立方体が無数に重なって存在していたという訳です。
これの別の表現が前回載せたこれですね↓
フィルムの一コマが三次元立方体の一つに当たります。
分かり易く色分けして数個しか書いていませんが(いや、数個しか書けません アナログ人間なので)。
この三次元の立方体『今ここ』の重なりを、無尽蔵に、無限に含んでいる状態が四次元ということになります。
私たちは目の前の今ここしか認識出来ませんが、今、自分が体験している今ここ、この瞬間に、同時に無限の今ここが重なって存在しています。
現象の今ここ、この瞬間は、静止している、つまり運動がありません。
冗談のようですが、パラパラ漫画のような仕組みと同じなのです。少し違うのは、観察している今以外は物理的に顕現しない、見えない、という所でしょうか。
もし四次元が存在しなかったら、私たちは人形のようにただの立体物で微塵も動きが無かったことでしょう。
バシャールの言う、私たちが毎瞬何億回もシフトしている、という話と、運動が幻想である、という話を合わせると、『今ここ』や、それを体験している私が、無尽蔵に存在しているという事になる訳ですね。
以前にも同じような話を書いていますが、ゼノンのパラドックスの『飛んでいる矢は飛んでいない』(知らない方は検索を)の話は奇天烈な説ではなく、
『歩いている私は歩いていない』という状態が三次元世界までの状態であり、
歩いているように感じられる次元が四次元世界である、ということになります。
要するに、私たちはこの無尽蔵に存在する三次元の世界を、1秒目の三次元世界、2秒目の三次元世界、3秒目の三次元世界へと(毎瞬何億回ですから、もっと細かいですが)意識のフォーカスを毎瞬シフトすることによって、あるはずのない時間を時間として体験しているということです。
別の言い方をするならば、意識の周波数のチャンネルを細かく刻むよう変えることによって、1秒目のチャンネル、2秒目のチャンネル、3秒目のチャンネル、、、、という風に体験するチャンネルを変えている、と言うことが出来ます。
昔のテレビやラジオにはチャンネルのダイヤルがついていますが、そのツマミをぐりりーんと回すような感じでしょうか(笑)
私たち、動いてないんですってよ(笑)
さて、ここが肝なんですが。
それを体験出来ているということは、私たちの意識は四次元を凌駕する高次の位置にあるということです。
そうでなければそれを観たり知ったり体験する事は出来ません。
もし私たちが二次元の平面世界の住人だと、同じ平面の漫画を読む事は出来ないのです(漫画を描く事も出来ませんけれど:笑)。
平面はただの平面であり、高さが在りません。
寝転んで、自分が一ミリも無い存在だとしましょう。0.000001の厚さもありません。寝転ぶことも不可能ですが、その次元では観るものもなければ、観るという行為すら存在しないでしょう。
漫画が読めるのは、私たちが三次元や四次元を含んでいるからなんですね。
そんな風に下の次元を含む高次元に意識があるので、下の次元を体験することが可能な訳です。
という事は、ですよ。私たちの意識って四次元より上にないと、今体験しているこの世界を体験も認識も出来ない訳ですよ。
次元上昇でなんとかかんとかと言われますけども、元より私たちは
常日頃から5次元以上に意識がある、ということです。
でなければ四次元である時間を体験出来ませんから。
つまり、私たちは本当は三次元の住人ではないのですよ。
そう思うと、この現実世界のバーチャル感が増してきませんかね(笑)
上の話からすると、願いが叶っている世界は既に在りますよ、という話にも繋がっていくわけですが。
続きはもはや書く必要がないかな。
この視点が誰のお役に立てれば幸いです。
あ、ライオンズゲート開いてる中でしたね。適当に過ごしてます、はい