先日、子どもも大人もだれでも参加できる、あるワークショップに参加したときのこと。
ファシリテーターの方が、紙芝居を読んでくれるという場面になったとき、参加者の中のひとりの子どもが「やりたい!やりたい!」といって、「自分が紙芝居を読む!」と主張しはじめて、ビックリ
ファシリテーターの方も「エッ!?できる?」と少し戸惑った様子だったが、その子は「できる!」と自信満々で押し切り、結局その子とその子の友達と二人で紙芝居を読むことに・・・。
大人の私は、まさに「大人しく」その場を見守ることにしたが、なんか、こころにモヤモヤしたものが湧いてきた。
「なんだろう・・・このモヤモヤは・・・???」とその時は、とりあえず、そのモヤモヤさんと一緒にその場を過ごし、ワークショップを終えたが、後からそのモヤモヤさんの正体を探ってみたくなってそのモヤモヤさんに聞いてみた。
「あのとき、こころのモヤモヤさんは、なんて言いたかったの?」
そうしたら、こんな「大人げない」こころの声が聞こえてきた。
「わたしは、子どもの読む紙芝居なんて聞きたくないの!子どもだからって調子に乗るな!みんな子どもが好きなわけじゃないんだよ!大人の気持ちも尊重しろ!」
うわぁ、我ながらいい歳して、やばい大人だなー(笑)
でも、そういう自分がいたってことを、自分がわかってあげただけで、なんか大人げない自分が笑えてスッキリ
モヤモヤした雲の中から、青空に飛び出せた気分。
そして、気がついた。
私は子どもが苦手なのではなく、子どもらしい無邪気な「子ども」に対して「大人らしく」ふるまわなくてはいけないという価値観に縛られていることに、モヤモヤしていただけなんだと。
そして、ハッとした
そっか。わたしの中に「苦手な子ども」「苦手な人」がいるわけではなく、その人といると私は「こうあるべき」という価値観をおしつけられ、それにしたがわないとひどい目にあわされるという思い込みから、イヤイヤ相手の価値観に合わせているから苦しいのだと。
こんな風に、モヤモヤさんの声に気づいたら、私の中から「苦手な人」がいなくなり、自分の中の自分を縛っている価値観に気づくことができ、もっと、モヤモヤさんと仲良くおつきあいしたいと思うようになったのでした。
明日は、どんなモヤモヤさんと会えるかな?