人間関係の苦しみから見えてきた自分
突然ですが、あなたの中に「どうしても苦手な人」っていませんか?
私にはいるんです。「思い込みが強く、周りを自分の思い通りにしようとする指示的・支配的・威圧的な人」がどうしてもダメなんです。
でも、なぜかそういう人から好かれたり、寄ってこられたりして、そういう人に悩まされている私って一体なんなんだろう・・・と悶々としていたとき、「身体から『もっと自分自身になっていく』というアプローチのアレクサンダーテクニークを知り、興味をもち、 今年の3月から4月にかけて、全5回のトライアルレッスンに参加してきました。
この写真は、レッスンを受けた東京アレクサンダーセンターという家。
元はお寿司屋さんだったという昭和な雰囲気の佇まいに、なにかほっとする場所でした。
担当してくださった先生は、くまがいさん。
今回くまがいさんが担当してくださると聞いて、事前にくまがいさんのホームページを拝見させていただき、「何か私と同じニオイがする」と勝手に思いこんで、ワクワクしていた私。
思っていたとおり、くまがいさんは、「先生と生徒」というよりも「人と人」として、「学び合う」対等な姿勢でかかわってくださる方で、私は安心してレッスンを受けることができました。
レッスンといっても、何か教えてもらったとか、習ったとか、カウンセリングや施術をうけたとかいうものではないので、説明できないのですが、1回目のレッスン(約60分)の後、今までになくなぜか自分の身体の存在感が増して、ずっしりと重みを感じるという感覚がありました。
その後、「どうしても苦手な人」から、めちゃくちゃ人権侵害的なことを言われるという事件が勃発💦
ただ、以前の私だったら、相手が私に言っていることに対して腹を立てたり、パニクッたり、相手の言動に対して反応していたところ、その時は、相手が炎上している状態を、単なる「現象」として眺めて、「今、この人は私の見ている世界とは別の世界を見ているんだなー」と、相手と自分を俯瞰してみることができたんです。
そして、「今、私はちゃんと自分の中にいる」ということに気づき、そのことは、「今まで私の中での人間関係は、相手と自分の間にこころを置いていて、自分の皮膚の中にちゃんと自分のこころが納まっていなかったんだ。『承認』や『安心』を自分の外側に求めていたんだ。だからつらかったんだ。」という気づきにつながりました。
そういう私だったから、「支持的・支配的・威圧的な人」から、容易に自分の境界線を越えて侵入されて、人権侵害的言動に苦しめられてきたんだ。そういうことだったのか!と腑に落ちたんです。
「ちゃんと自分の中にどっしりと居る」「自分として居る」「自分と共に居る」そんな感覚を覚えてからは、「周りから認めてもらいたい」という承認欲求が、実は自分を苦しめていたことにも気づきました。そして、承認欲求というのは、「自意識」(自分が自分だと思っている意識=妄想)とつながっていること、つまり「今まで私は自意識過剰だったわけね~」なんて、ありのままの自分を認めてあげることができたんです。
今までは「自意識過剰な自分」なんて、かっこ悪い(と思っていた)自分は、いませんよ~と、見て見ぬふりをして、「臭い物に蓋」をしてきたけど、そういう自分に気づいて、「そういう自分が確かにいたね」と認めてあげちゃうと、力が抜けて、けっこう楽になったりもしました。
今回、全5回のトライアルレッスンを受けて改めて感じたことは、こういう「気づき」というのは、1人で頭で考えて出てくるものではなく、「どんな自分でもいいんだ」と安心して居られる場所で、他者との対話・交流から生まれてくるものだということ。こういう対話ができる人が身近にいないと、いつ鬱になってもおかしくないことなど・・・自分が鬱になった経験があるからこそ、改めて実感しました。
人は、自分独りでは生きていけない。共に生きよう。そのためにはまず、自分と居よう。不快感から逃げないで、目をそらさないで、そこに居よう。私たちには、生まれつき備わっている「全部の自分で生きよう」という機能(アレクサンダーテクニークでは、それを「プライマリーコントロール」というそうです)が働いているから大丈夫。そんな風に思えたら、新たな展開が見えてきました。そして、そのプロセスは、常に進化し、動き続けています。なんか、宇宙のエネルギーの流れに乗っかって、流れていっている感じ。このまま流れに身を任せてみようと思います。