雨模様の糸島市です。

最高に美しく美味しかった

今日は、突然のお題ですが、
母に初めて感謝出来て、許せた日がやって来た。です。

私の母は私が生後8ヶ月の時に私を置いて家を出てしまったのです。
29歳になるまで母の顔を知らずに生きていました。

5歳になる頃継母がやって来て今でもはっきりとその光景を覚えている。
「この人がお母さんよ」と言われ
「この人違う!」と何とも相性の悪い不細工な継母に良い放った。
本当に可愛げのないお転婆だった。
そんな私がかわいいはずもなく
継母の陰での私へのいじめが徐々に始まっていった。
それまで、父と、祖母、叔母と幸せ一杯で過ごしていた日々が少しずつ歪んでいった

ある時は、自転車に乗せられ、後ろに乗せた私への罵倒が始まるそして、小さい私には歩くには大変な距離の所に置き去りにされ
トボトボと帰った記憶がある。
ある時は、近所のおばさんに声をかけられ一緒に帰りながら何故こんな遠くにいるのか聞かれたけれど、かたくなに理由を言わなかった、言ったら父と祖母に言われ、また私は彼らがいないときにどんないじめに会うか恐怖心の方が大きかった。
祖母が亡くなってからはいじめは一層エスカレートしていった
その年から中学校に上がる迄の夏休み一ヶ月間は大阪に嫁いでいった叔母の家庭に新幹線に1人で乗せられ一ヶ月を過ごした。
この時が私の唯一の自由に感じる時間だった、、
父は大好きだっただが、それよりもあの陰険ないじめから逃れられる方がよっぽどましだった。
中学生に上がるとお家に帰らなくて良いようにクラブ活動に入り
と、ここから私は強くなり出した気がする。
言いたいことを言えなかった継母に対し口答えを初めて出来た。
そして高校2年の時に継母は父のいない時間を見計らい私のいる目の前で継母の兄弟と共に家財道具を運びだし、出ていった。

その時の私は言葉だけ、「出ていかないで」と言ったが、行ってしまった後
心底ホッとしたのを覚えている。
もう、あんな惨めな思いをしなくてすむ、
心から嬉しかった。

私には母などいない
そう思うようにずっと生きてきた。
29歳で初めて母に合うのだが
私の心は彼女としか言葉はない。
許すも、許さないもそんな感情すら無いのだ
だって、母などいないから
感情も何もない
そんな彼女に2度目の再開は、彼女の住むシアトルに呼ばれた、1週間の滞在予定を2日で切り上げて帰国した。
理由は初めて人に殺されると思ったのが産みの母親だという取っ組み合いのケンカをしたからだ
彼女から飛びかかって馬乗りにされ私は喉に深い引っ掻き傷を、抵抗した私は
彼女の小指を剥離骨折させていた。
当日結婚していた彼女の旦那さんが中に入り収まったが、その間落ち着くまでの間にお決まりの台詞「あんたを産まなきゃ良かった!」と放たれた
が、私には何にも刺さらなかった
何故なら、彼女のことは母親等という言葉にも当てていなかったからだ。
痛くも、痒くもなく
あーーなるほど、ドラマで聞いたことのある台詞だ(笑)くらいの感覚だった。
落ち着いたとき言った彼女の一言は
「このかんざしで貴方を刺さなくて良かった」と
彼女は髪を先のとがった鉄製のかんざしで止めていた。
流石に
ゾッとした。
痛いからくらいの感情だった。

ケンカの理由は
ジェットラグでフラフラの私を寝せようとはせず、彼女の出掛けた隙に入らないで欲しいと言われた部屋で寝込んでしまったからだ、叩き起こされ、私の荷物が全て外に放り出されていた
で、何故そんなことをするのと言った私にいきなり飛びかかってきたと言った経緯だった。

そのあと、さっさとタクシーを呼ぶように怒鳴ったが、彼女は流石に後悔が押し寄せたのか、泣いて謝り空港まで送ると言い出した
勿論全力で拒否したが 絶対に横には座らない約束で空港に向かった
次の日のチケットを買い
モーテルをリザーブした
一泊のモーテルにも泊まると言い出し
私は「勝手に」と言って別れた。

それ以来現在に至るまで彼女とは会っていない。

どうしていようが一ミリも気にならない

ほんの1年ほど前、YouTubeで親の顔を知らずに、死の直前で会えることを拒否した人の後悔するエピソードを話してあったとき、私は、初めて
あんな出来事があったけど、、
「ソーダよな
顔見ないままだと私、死ぬときに後悔する」と初めて思えて見れたことは良かったと感謝などとはほど遠い状態で数日前まで過ごしてきた。
数日前
お友達と訪れたレストランで相席した親子さんは、お友達お知り合いで会話が弾みそのままカフェで6時間もの間お喋りして数日後には夕食にご招待された
そこには聞いていた3人の可愛らしい男の子
母親は、下の子が障害あるとのことで家族を後にしたとのことだった。
私は、その子達が本当に愛おしく思え、特に障害のあるこの笑顔は天使が笑うならこんな笑顔だ、、とけそーーーとメロメロになった。
私はその母親の行動を聞いて酷いなーーと嫌悪感を感じたが
その子を抱っこした瞬間にその母親にふかーーーい感謝の気持ちが現れたのです。
だって、何があれ、こんなにかわいい子を産んでくれて‼️
って思ったと同時に私の産みの親のことが頭によぎったのです。
そして今日、またその子を抱っこ出来る機会に恵まれ、愛おしさマックスで、もう、周りからは親子みたいと、、言われながら
私は確信したのです。
この子がきっかけをくれた
そう、初めて私の産みの親に私を産んでくれてありがとうと、だって、この子のように可愛くないにしても、少なくとも私に救われたと言ってくれる人たちはいたはずで、祖母にも、父にも私が小さい僕に抱いた感情以上に愛しく思ってくれたはずだ、こんな光の存在を命がけで出産してくれた母親に感謝以外の言葉はない。
そして初めて私に母親が出来た日となった。
母親を欠落した人生を送ってきた私には心理カウンセラーから指摘があった母親との関係
私はいつも、愛した人は目の前から居なくなるという恐怖心があり自分からは好きになった人がいない。付き合ったあとはこの人はいつか居なくなると、愛すれば愛するほど思いが強くなり、呪文が頭をよぎった
思いは勿論現実化するのが世の常
うまく行けば行くほどぶち壊してしまう
勿論そんな私には子供にも恵まれなかった、欲しいとも思わなかった人生だった。
なす術もなく結果的に一人に、、
そんなことも限界だったのか、それとも受け入れる器が育ったのか今日の出来事だった。
小さな僕のあの笑顔は一生忘れないだろう。

そして私は心理カウンセラーさんの予言?!(笑)通りに人生が進むのなら
素敵すぎる伴侶が横に出来るのもすぐそこだ🌈沢山の愛が溢れ出した今、沢山の与えるものがある自分が自覚できた。
私の伴侶はきっと幸せだ。そして、小さな僕のように横で笑える私もとっても幸せ それを見た伴侶、周りの人も幸せと幸せのループが続くだろう。
カウンセラーさん当たっていますか?(笑)
子供好きはずっと前から発症?していたが、自分の子がいたら全力で守りきる覚悟も感じられた。小さな僕との出会い必然だったと感じずには居られない。
産まれてきてありがとう。
ここに来てくださった皆様にも全力で叫んで抱き締めたい。

少し続いているブログですが 思いの外沢山のかたに訪れて頂き、いいね!もつけてくださったりと 顔は見えないですが、ジーーーんとします。
ご縁を頂き今を共有させて頂けることが奇跡の様に感じます。

これから、私は、リレーションシップで少しずつ変化があるのか見守っていただければ幸いです。

ありがとう御座います。