心にひとり分受け入れる余裕を常に持っておくこと。

誰かがピンチの時、その人を受け入れるスペースがあれば立ち止まり寄り添い話を聴くことができる。

もう二度と誰かのSOSを聴き逃さないと決めたあの日から。

大事な誰かのためのスペースを無くすほど、自分を見失う事は無くなった。



生まれた環境の不運をいつまでも『幸せにならない』言い訳にしていたら、そりゃ~幸せにはならないよね~。

私もちょこっと不運だったけど、それを言い訳にすることをもういい加減やめようぜ~と不幸自慢に飽きたらいろいろ動きだしたから面白い。
覚悟ができたというか。柱ができたというか。

過去にどんな不幸な生い立ちでも、不幸な環境で育っても(不幸と思い込んでいるのかもしれませんが)自分の魂を輝かせないで『今幸せにならない理由』にはなりません。

人間は自由意志があり選択できるのだから。
やさぐれて人生を諦めた選択をした結果、不幸になることはあるでしょう。それは親のせいでも誰のせいでもありません。

私も何回も選択を間違えて、後戻りできない危ない方向にいきそうになりましたし実際危ない方向に行ってしまった過去の知人・友人はたくさんいます。

それでも一応今まっとうな道を歩けているのは、『そっちじゃないよ~』と知らせがあったのだと思います。

『この人間は過去をどう乗り越えて、どう幸せを見つけていくのか』という視点で自分を見ているもう一人の自分がいるの気づいたのは最近のことですし、私もいったい私はどう幸せになるのかを見てみたいと思います。


いつも同じことで悩み、同じ事でつまづくなら。


意識的にパターンを変えてみるといいかもしれない。

いつも右に行く癖があるなら、意識して左に行ってみる。

いつも無意識に白を選ぶなら、意識的に黒を選んでみる。

何かを変えたいとき、問題に焦点をあてほじくりまわすより、

ただ行動パターンを意識的に変えてみるといいかもしれない。



コミニュケーションが苦手なら、意識的に自分から話しかけてみる。

選び慣れてる道を行っても冒険にはならない。

冒険とは、いつも外に出て動き回る事でもない。

冒険とは知らない自分に出会うこと。

環境を変えずに自分の行動パターンを変えるというアイディアを
採用したくなる時が来る



本当の意味で自分を変えること。 

同じパターンはいつか飽きるから。

飽きるまでやってみたらいい。

紅葉も毎年同じような景色に見えるけど、よくみると今年は朱が鮮やか。
変わらない場にいても、色づき方は毎年変わっていいのだろう。