昨日、都内某所で面白い「お話会」に行ってきた。
坂爪圭吾さんという、ぶっとんでて、たまらなくフリーダムな青年を囲んでおしゃべりする会。

そのお話会に、「嫌だから」高校を辞めたという17歳の女の子がいた。

フリーダムだ。

坂爪さんは、たぶん魂が双子なんだろう。「いいね」と大きな目をキラキラさせて言っていた。
シンパシーハンパなかった。

同じように「うらやましい」「スゴイ」と称賛する大人たちがいた。
「でも親だったらやっぱり心配するわ」というご婦人がいて、
「辞めて、何かやりたいことあるの」とたずねるおじさんがいた。

どれも当たり前の反応だと思ったけど、ある言葉をきっかけとして、
ご婦人やおじさん達の言葉が干渉で、悪いことのような雰囲気になった。

私はそうは思わなかった。人の親なら、当たり前の感覚だろう。
私は、人の親じゃないけどね。
だから、そう想像しただけ。

その考えは、口にはださなかった。
昨日は、そんな意見を戦わせる場じゃないと思った。
それも、自分自身の考えじゃなく誰かの考えの側に立って想像して「そういう考え方もわかるよね」とか擁護するなんて、無駄な時間になると思った。
たぶん、発言しなかった人は、私と同じように考えていたんじゃないかと思う。違うかもしれないけど。
自分の考えを見つめて、ひっそりと心にしまう時間だった。

余談だけれど、私はそういう場では、誰のどんな話も大きくうなずきながら聞く。
全てに共感しているんじゃなくて、ちゃんと聞いているという合図だ。笑



その会には、学校や進学塾の講師をしているという人が何人か来ていて(割合的に多いなと思った)、中の2人が「自分自身は学校が嫌い」「別に教えた子が進学できてもできなくても、どっちでも良い。だって、進学できないからって人生終わりじゃないから」と言っていて、私は軽く嫌悪感を覚えた。
誤解されると困るのだけれど、その発言者に嫌悪したのではなくて、それが正しいことのような場の雰囲気。

別に、学校が嫌いな先生がいてもいい。
良い学校に入ったからって、幸せになるとは限らない。

けど、私が生徒だったら、学校が好きで、生徒の夢(それが希望校進学というようなものでも)を心から応援してくれる先生がいい。


良い学校に行ったから幸せとは限らない。
高校生活が、大学生活が、楽しいことばかりとは限らない。
本人が時間をかけて気づけばいいことだと思う。

17歳の彼女に、「私は30過ぎて気づいたことを17歳で気づいたなんて羨ましい」と言った人がいたけれど、30までの自分の人生を否定するなんて、実に残念なことだと感じた。

とか、そう思ったのも、もちろん全て私の主観です。はい。

いろんな人がいて、いろんな考えを聞けて、それに照らして自分の考えが明確になる。
良い2時間でした。
小劇場の良作をひとつ見たような感じ。

この日の会は、参加費が決まっていない「ドネーション」形式でした。
私は、ふだん見る小劇場のチケット代ほどのお金を支払いました。
主演は、あの17歳だったな。
脇役も、光ってた。


そうそう、最後、ちょっとなんかのセミナーっぽくなっていたのだけは、可笑しかった。ごめん。
正直な感想で。