実は○○のファンでした ブログネタ:実は○○のファンでした 参加中

実は○○のファンでしたっていうと「実は」というほどの告白感とか意外性がないといけないから、今ファンである片岡仁左衛門さまとかの名前をあげても仕方ないのよね。
しかも、今いうのはちょっと恥ずかしいくらいの気持ちになる昔ファンだったもの。記憶の糸を手繰ってみたところ、これしかないという名前が出てきました。

「ベイ・シティ・ローラーズ」ですキャッ


ちゃたらーのお昼休み

初めて知ったのは、小学校4年生の時。
近所に住んでいた1つ年上の草野みかちゃんは、お兄さんがいたためか年齢よりも大人な趣味があり、小学生にして、スヌーピーのピーナツシリーズの本を読んでいました。
その彼女が教えてくれたのが「ベイ・シティ・ローラーズ」
まさにこの写真のレコードを聞かせてくれたのです。

このおかげで、私が生まれて初めて正しく綴れるようになった英単語は「SATURDAY 」です。
私と同年代の多くは、英単語書くのに土曜日だけは頭の中で「S・A・T・U・R音譜D・A・Y音譜ナイッビックリマーク」と呟いているのではないでしょうか。
まぁそれくらい、当時、大流行したんですよ。

今、よくよく写真を見てみると「ダサイ」とか「イモ」とか一部で言われていたのも、よくわかるのですが(笑)、当時のちゃたらーにとっては、王子様です。まさにエジンバラの騎士キラキラです。

彼らが着ているタータンチェックの服が着たくて、チェック柄の布を買ってきて、手持ちのシャツに縫いつけられないかチャレンジしましたが、子どものやることなので上手くいきません。(いや、今でもたぶんできないけどね)

そんな私に福音がもたらされたのは、小学校6年生も終わりに近づいた初春。
母親が「卒業式に着る服を買ってあげる」と言ってくれたのです。
普段、母親が買ってくる服というと、まずバーゲン品。
「ちょっと残念な感じのネズミの人」がプリントされたトレーナーだったり、いきなり何があるの?というような、ピアノ発表会仕様フリフリのワンピースだったりで、なかなか私の趣味にマッチするものではありませんでしたが、まあ、買っていただけるだけありがたい家でしたので、特に文句も言わずに着ておりました。フリフリワンピースなどは、私の思惑に反し周囲の評判は良かったものです。
しかし、私はタータンチェックの服が欲しかったビックリマーク

母親と一緒に行った宮交シティ(当時宮崎で一番のショッピングモール)で、私はそで口と襟と胸ポケットに赤いタータンチェックのついた白のメンズ風シャツを選びました。
母親は「えーっ」という感じでしたが、好きな服を買ってあげると言った手前、反対はしませんでした。
その上私は、タータンチェックの赤いプリーツスカートと、それに合わせる赤い(もちろんタータンチェックの)ジャケットを選んだのです。

当時、ピーコさんがいたら「チェックオンチェックは難しいのよ!」と叱ってくれたと思いますが、幸か不幸かおすぎさんもピーコさんもおらず、母と娘には、まったくそのへんのセンスがありませんでした。

ま、センスとかどうでも良いんですよ。
当時の私は、タータンチェックで全身きめられたことが無上の喜びキラキラ
卒業式も、嬉々としてその服で出ました。


レコードは全部そろえ、ひたすら明星の付録の歌詞カードを見ながら聞いていました。
当時「明星」「平凡」と言う雑誌があったのですが、私は「明星」派。
(でも「平凡」にローラーズのポスターがついてたら、その号だけは買う)
明星の歌詞カードのすごいところは、英語にフリカナがふってあったのですビックリマーク

たとえば「SATURDAY NIGHT」の歌いだし
Gonna keep on dancin' to the rock and roll でしたら、
ガナ キポーン デンス トゥザ ロケンロー
みたいな(爆)
おかげさまで、英語は読めなくてもベイシティローラーズの歌はほとんど歌える私です。
今でも、たまに「あ ドノワト ィッザ メイクミ らびゅそ音譜」とか口ずさんでしまってます。
正確には、I don't know what it is that make me love you so
「二人だけのデート」です。
ちゃたらーのお昼休み
そんなローラーズファンだったある日、大変なニュースが届きます。
「あの、ベイシティローラーズが、宮崎にやってくるビックリマーク
ほんとーっやるぜアップアップアップ
ビラをよくよく見たら「フィルムコンサート」でした。
やってくるじゃないじゃん!手

今ならそう突っ込むところですが、当時、各家庭にビデオという機械はありませんでした。
NHKで放映されたコンサートを、カセットテープに録音して聞いていたのですから、フィルムコンサートと言っても大事件です。
誰と行ったか覚えていないのがまったく不思議ですが、確か学校の友達と一緒に行きました。
体育館のようなホール。正面に大きなスクリーン。そこに「Bay City Rollers」の文字が輝いています。

集まった少女たちは、タータンチェックを身にまとい、タータンチェックのマフラーを振り回し、
「We want Rollers」
声を合わせて、叫んでいます。
私も叫びましたよ、うぃーうぉんろーらーず怒

叫びが絶好調に達したころに、フィルムの中で花火があがって花火
ジャーンアップ
一斉にキャーッキャッキャッキャッ


今思えば、何だったのか(笑)
集団催眠にかかっていたようでしたね~。
いやあ、よく前後の記憶がないことも含めて、良い思い出です。

その後、中学に入学した私は、ある日突然アニメオタクになり(いえ、突然というか、その兆候は前々からあったのですが)私の王子様は「プリンスハイネル様ラブラブ」になりました。←ブログ 参照

ベイシティローラーズも引き続き好きでしたが、クィーンやレッドツェッペリンも聴くようになりましたし。
つか、一緒にしないでという後者のファンの声も聞こえますね苦笑

ローラーズのヒット曲のひとつに「イエスタディズ・ヒーロー」というのがありますが、私にとってのベイシティローラーズは、約3年間の熱中時代を経て、いつの間にか過去のヒーローになっていました。


今回、このブログのために画像をさがして、衝撃的なものを見つけました。
私が一番好きだった、レスリー・マッコーエンです。




ちゃたらーのお昼休み

腹、チラ見せするな~(笑)

この人と誕生日(11月12日)が同じだというのが、自慢だった日もあったなあ。

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